NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

花あふれる

我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。

── 安吾 



「村田さん悼む思い、花あふれ…横浜線事故現場」(読売新聞)
 → http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131004-OYT1T00827.htm

 横浜市のJR横浜線踏切内で男性(74)を助けようとして電車にひかれて死亡した同市緑区、会社員村田奈津恵さん(40)の冥福を祈ろうと、踏切近くに設けられた献花台の前では、事故から3日が過ぎた4日も多くの人が手を合わせ、花を手向けた。

 献花台はJR東日本が2日に設置した。幅3・6メートル、奥行き45センチの台の上は、すぐに花束であふれ、3日にはJRの職員らが、置ききれない花束を10個以上の段ボール箱につめて別の場所に移した。千葉県柏市から来た会社顧問の男性(76)は「これからまだまだ出会いや希望にあふれていただろうに……」と静かに手を合わせた。東京都江戸川区の会社員男性(26)は「自分の身をていして人を助けた村田さんを、決して忘れない」と目を閉じた。

「『勇気ある行動』たたえ首相が書状 男性救助死の村田さん 紅綬褒章も授与」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131004/plc13100411480007-n1.htm
「勇気をありがとう 踏切事故で亡くなった村田さんの死悼む献花続々」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131002/dst13100222540009-n1.htm
「横浜・踏切で救助死の村田奈津恵さん 機転でレールの間に男性運び助かる」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131003/dst13100312120001-n1.htm


我々人間は、万人注視の下ではヒロイックになれる。死ぬことさえする。
だがしかし、彼女のそれは違うようだ。
死を覚悟していたのではないかも知れないし、死ぬことがわかっていたら行かなかったかも知れない。
二重事故になっていたかも知れないし、浅はかな行動だったのかも知れない。
しかし、「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。」。



言うは易し行うは難し。

 ふだん飲んだくれてゐたつてイザとなりや命をすてゝみせると考へたり、ふだんヂメヂメしてゐちや、いざ鎌倉といふ時に元気がでるものか、といふ考へは、我々が日常尤も口にしやすい所である。僕など酒飲みの悪癖で、特に安易にこのやうな軽率な気焔をあげがちなのである。
 けれども、この考へは、現に我々が死に就て考へはしてゐても、決して「死に直面して」ゐはしないことによつて、そもそもの根柢に決定的な欺瞞がある。多分死にはしないだらうといふ意識の上に思考してゐる我々が、その思考の中で、死の恐怖を否定し得ても、それは実際のものではない。

── 坂口安吾(『死と鼻唄』)