NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

まほろば

「【主張】卑弥呼の鏡 国の成り立ち思う機会に」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100110/acd1001100235000-n1.htm

 平城遷都1300年で沸く奈良県から、古代史のビッグニュースが飛び込んできた。
 桜井市桜井茶臼山古墳に、ひとつの墓の記録としては一挙に従来の倍以上となる81面以上もの銅鏡が副葬されていたことが、県立橿原考古学研究所の再発掘調査で分かったのである。
 桜井茶臼山古墳は全長が200メートルもある大型の前方後円墳で、3世紀末にこの地で誕生した初期ヤマト王権の大王級の人物が埋葬された可能性も指摘されている。古い時代の盗掘によってほとんどの副葬品は持ち去られていたとはいえ、大王権力の大きさを雄弁に語りかけている。
 1枚の小さな破片には、「是」という文字が浮き彫りされていた。3次元デジタル分析によって、遠く群馬県の古墳から出土した鏡と“兄弟鏡”だったことが判明した。地道な考古学と最新の科学技術とのコンビネーションによってもたらされた成果である。
 その群馬県の鏡には「正始(せいし)元年」という中国の年号がある。西暦の240年にあたり、倭国の女王・卑弥呼が中国の魏(ぎ)に派遣した使節が帰国した記念の年だ。
 「魏志倭人伝」には、魏の皇帝が使節を寄越した返礼として、卑弥呼に100面の銅鏡を贈ったとも書かれている。今回の破片がその一部だったと見る研究者も少なくない。
 茶臼山古墳の北西約3キロにある纒向(まきむく)遺跡の一角からは昨秋、3世紀後半の大型建物跡が発掘され、「卑弥呼の宮殿ではないか」と話題になった。
 相次ぐ発掘成果を総合すると、邪馬台国を中心とした国々によって結成された倭国連合が、初期ヤマト王権へと連続的に発展していったと考えるのが自然な状況になってきている。
 ≪大和は国のまほろば
 たたなづく青垣
 山隠(やまごも)れる大和し うるはし≫
 日本武尊(やまとたけるのみこと)による有名な、国ほめの歌である。麗しい奈良こそ心のふるさと、という絶唱は現代人の心も打つ。
 茶臼山古墳が築かれた3世紀末といえば、平城京の時代からさらに400年も前である。そんなはるかな昔に、この地で国家というまとまりを作ろうと、懸命な努力が重ねられていた。「建国記念の日」には1カ月早いが、今回の発見を、わが先祖たちの営みに思いを馳(は)せる機会としたい。

桜井茶臼山古墳“卑弥呼の鏡”に繊維痕 1枚ずつ絹袋に?」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100108/acd1001081353002-n1.htm
「太刀の銘文は卑弥呼統治の証か 魏志倭人伝の記述に符合 」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100106/acd1001060200000-n1.htm


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