NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「鎌田慧の死刑廃止論」

「【断 呉智英】『鎌田慧死刑廃止論』」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080928/acd0809280255001-n1.htm

 「部落解放」十月号の特集は「死刑廃止論」だ。巻頭の「死刑廃止への路」で鎌田慧森達也が対談している。森の発言にはそれなりに聞くべきところもあるが、鎌田はひどい。自分の家族を殺されたらどうするか。「たとえ自分の娘が殺されても『それでも死刑は廃止だ』って言わなくちゃいけない」「娘には申し訳ないけど、しようがない」だと。愛する娘に申し訳なく思ってまで、人間のクズである殺人鬼の味方をしなければならない理由がどこにあるのか。
 鎌田は社会主義が崩壊した一九九〇年代以降の左翼の惨状を象徴している。左翼思想に人道主義を混入すれば延命できると思っているのだ。なんと愚かな。左翼思想の本質も意義も理解せず、人道主義の混ぜものを作ったところで何の役にも立たぬ。鎌田よ、革命歌『同志は倒れぬ』を知らないのか。ショスタコービッチの交響曲第十一番にもその旋律が使われている葬送曲だ。そこにこうある。「倒れし君の屍(しかばね)を 我等は踏みて進みなん 時は来ぬいざ復讐(ふくしゅう)へ 時は来ぬいざ復讐へ」。これを聞いて君はなんとも思わなかったか。
 私は中学時代、校内弁論大会で戦争や死刑に反対だと未熟な演説をしたことがある。だが大学時代、左翼思想を知り、復讐の人類史的意味にも気づかされた。私には左翼思想に重大な学恩がある。左翼全滅時代だからこそ、その恩に報いたいと思う。一方、鎌田のような化石左翼は何の思想的努力もせず、人道主義と密通してけっこう上手に小銭を稼いでいる。ああ、情けない。