NAKAMOTO PERSONAL

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明治の豊かな言論を取り戻せ

「【正論】明治の豊かな言論を取り戻せ 日本大学教授・先崎彰容」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/181004/clm1810040004-n1.html

 ≪人格攻撃が先鋭化する日本≫

 先日、筆者はある座談会に出席した。「近代日本一五〇年」をめぐり、保守主義の立場から意見を述べるよう依頼を受けたのである。昨今の政治状況は「愛国VS左翼」「保守・自民党VSリベラル・立憲民主党」のような、極端な二項対立にはまり込んでいる。結果、内政外交に課題が山積であるにもかかわらず、些末(さまつ)な人格攻撃がマスコミをにぎわしている。北朝鮮の動きを注視せねばならないときに、トップニュースが性的不祥事で埋め尽くされている。

 こうした「1億総週刊誌化」した現状では、世の中の出来事を、善悪で明瞭に腑分けし、「悪い」奴をやり玉にあげることばかりに時間が費やされる。貧困な言葉が空中戦をくり広げている現状を、少しでも俯瞰(ふかん)してみたい。こうした思いが、明治維新から150年という節目も意識し、座談会を組んだ趣旨だと聞かされていた。

 この企画趣旨を聞いたとき、筆者にはやるべきことが、すぐさま了解できた。明治期の保守思想がもつ可能性をしっかりと主張する。そのことで現代社会の硬直しやせ細った言論空間に風穴をあける、という役割である。本稿では座談会で言い漏らしたことも含めて、明治人たちの豊饒(ほうじょう)な言葉の海を再現してみることにしよう。


 ≪違和感唱えた谷干城の意見書≫

 ふつう私たちは明治初期を「明治藩閥政府VS自由民権運動」という図式で教えられる。しかしこれが全くの間違いなのだ。藩閥政府が推し進めたのは、言うまでもなく「西欧化」である。具体的には法治主義の徹底であり、経済における自由主義の導入、そして鹿鳴館に代表される文明化であった。

 これら3つの政策がなぜ問題だったのかといえば、庶民生活の実態に全く即していなかったからである。自由主義経済化と松方デフレは、まるで今日のグローバル経済がそうであるように、個人を直接、世界経済にさらすことになった。大げさに言えば、明治開国によって、日本人は地域共同体で営まれていた小さな経済圏から引きはがされ、一人一人が、世界経済の大きなうねりに直面することを強いられたのである。

 経済ばかりではない。現実を無視した法治主義が、明治の日本人を困惑に陥れていた。たとえば明治12年、谷干城は「陸軍恩給令改正意見」を政府に提出する。これは、戦死者遺族に対し、妻子など家族に恩給を与える新政府の対応を批判したもので、これまでの伝統をふまえるならば、父母に対して恩給を支給すべきだとするものだった。つまり、日本の伝統と慣習を無視した恩給制度を批判し、実態にあわせるべきだと主張したわけだ。日々翻訳される法律を、現実を無視したまま適用を焦る新政府に対し、違和感を唱えた一例が、谷干城の意見書なのである。

 鹿鳴館の欧化主義に対する感情的反発は、なにも西欧諸国を敵視したからでなかった。実際に、日々の生活習慣自体が壊されていたからこそ、人びとは鹿鳴館に批判の眼をむけたのである。


 ≪保守的ゆえに政府を批判する≫

 自由民権運動は、その象徴的一例だ。だが筆者が注目したのは、もう一つの批判の系譜である。それが元田永孚(もとだ・ながざね)や陸羯南(くがかつなん)などの保守主義者たちであった。彼らの特徴は、政府の法治主義に対する「道徳」の優位、そして伝統の重視であった。

 たとえば、元田は道徳を重視したが、それは道徳がもつ世界大の「普遍性」を強調するためだった。道徳は普遍的な倫理であり、それを体現しているのは日本では天皇である。つまり天皇=道徳の体現者と考える元田は、天皇藩閥政府を明確に区別した。そして、天皇VS藩閥政府という立場から政府批判を行ったのである。その批判は、急激すぎる欧化を是正すべし、というものであった。つまり保守主義的なのである。

 一方の自由民権運動が、西欧由来の民権概念によって、激しく藩閥政府と対立したことは誰でも知っている。しかし明治期の日本には、藩閥政府VS自由民権とは異なる、もう一つの反政府的な立場が存在したこと、それは天皇と保守を標榜(ひょうぼう)していたことは今日、完全に忘れられている。

 しかも彼らは自由民権とは異なり、政府と対立しつつも藩閥政府の破壊・革命はすべきでない、と考えていた。なぜならこれ以上、国政が混乱することは、諸外国に内政干渉する隙を与えてしまうからである。

 だとすれば、元田や陸羯南保守主義は、これまでの教科書的な「明治藩閥政府VS自由民権運動」とは異なる立場ということになるだろう。保守的であるがゆえに、政府を批判する立場がある。つまり二項対立を超えた第三項があるということである。

 さて些末な人格攻撃に明け暮れる平成最後の日本に、この明治の話は、遠い時代の話なのだろうか。筆者にはそうは思えない。むしろ150年前の言論空間の方が硬直性を免れ、さまざまな立場の言論が生き生きと活動を展開していたように思えるのである。

違和感の正体 (新潮新書)

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翁に曰く、

 してみれば言論の自由とは、大ぜいと同じことを言う自由である。大ぜいが罵るとき、共に罵る自由、罵らないものをうながして罵る自由、うながしてもきかなければ、きかないものを村八分にする自由である。

── 山本夏彦(『毒言独語』)