NAKAMOTO PERSONAL

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戦時下と裏返しの「平和主義者」

「【正論・戦後72年に思う】戦時下と裏返しの「平和主義者」 新潟県立大学教授・袴田茂樹」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170823/clm1708230006-n1.html

 毎年8月になると、72年前の敗戦との関連でメディアには反戦・平和主義、核廃絶論、戦争体験談などが溢(あふ)れる。これらを見て、ある疑問を抱く。それは、戦後世代は満州事変(1931年)から敗戦(45年)に至る戦時中の雰囲気を果たしてリアルに理解しているのか。そして今は戦時中とは別の認識形態や自立的思考を本当に確立しているのか、という疑問だ。

 実際にはわれわれも、戦時中とは裏返しの形だが、同様の画一思考に陥っているのではないか。


 ≪本当に時勢に不本意だったか≫

 戦時下のわが国を描く近年の朝ドラなどの定番は、町内会(隣組)、婦人会などの翼賛組織の先頭に立って、軍部のお先棒を担いで国民を戦争に総動員する「悪役」と、彼らに従わざるを得ない「被害者」の一般国民-という図式だ。そして知識人たちも不本意ながら時勢に従うといった図だ。

 しかし実際には国家組織、教育やメディアが総力で推進した国と国の“試合”は、オリンピックやサッカー・ワールドカップなどとは天地の差の強力な“麻薬的力”を有していた。それがアジア解放の聖戦とされ、その勝敗に国民の生命や国運が懸かっていたからだ。具体例を挙げよう。

 日露戦争中に「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」と歌い反戦歌人とされている与謝野晶子も、その後「水軍の大尉となりて、わが四郎、み軍(いくさ)に行く、たけく戦へ」と歌った。かつて治安警察に反対したあの市川房枝も、翼賛体制に賛成して大日本言論報国会理事となり、戦時下の隣組における主婦の役割の重要性を説いた。

 社会派ではなく純芸術派の佐藤春夫も、愛するわが子を「大君がため、国のため、ささげまつらん」と戦地に送り出した。耽美(たんび)派詩人北原白秋も、「紀元二千六百年頌」で「ああ、我が民族の清明心…武勇、風雅、廉潔の諸徳…大義の国日本…大政翼賛の大行進を…行けよ皇国の盛大へ向かって、世界の新秩序へ向かって…」と愛国大行進を歌い上げた。


 ≪戦争の即物性に酔った文人たち≫

 42年に創設された日本文学報国会は会員約4000人で、非会員の文人は稀(まれ)だった。役員は徳富蘇峰(会長)、久米正雄菊池寛折口信夫佐藤春夫柳田國男…ら錚々(そうそう)たる文人だ。岩波茂雄も賛助会員、顧問には横山大観や藤山愛一郎、正力松太郎も名を連ねた。女性の役員や会員には、壺井栄林芙美子宮本百合子ら左翼(元左翼)作家もいる。

 日本精神高揚のために41年に大政翼賛会文化部によって発行された『詩歌翼賛』には、北原白秋佐藤春夫はもちろん、高村光太郎島崎藤村三好達治らの愛国詩が掲載された。


 大政翼賛会陸軍省海軍省などの後援で42年に開催された大東亜文学者大会には、大会参与として前述の島崎、柳田、折口らの他、正宗白鳥志賀直哉谷崎潤一郎川端康成…らも加わった。

 日米開戦と当初の日本軍連勝に国民は熱狂した。米国や欧州諸国との間の絶え間ない緊張や国内政治紛争の鬱感の中で、戦争の勝敗の即物性に「すがすがしさ」を感じた知識人も少なくなかった。

 これら具体例を挙げたのは、彼らを批判するためではない。当然、生活ゆえ時勢に従った者や社交上の付き合いもあり、谷崎の『細雪』は軍部が発禁にしたが、自衛策でもあったろう。私が強調したいことは、2つである。


 ≪画一思考に陥っていないか≫

 1つは、戦時中は文化人や知識人も含め、国民の大部分が熱病のように、時代の“麻薬的雰囲気”に酔っていたこと。第2は、その知識人たちの多くが、戦後は平和・反戦主義者、民主主義者に転向して戦時中の自己を封印し、また教育も出版・メディアもそれに率先して加担したということだ。

 例えば与謝野晶子については反戦歌のみ取り上げ、学徒兵の遺稿集『きけわだつみのこえ』も、確かに感動的だが、それら手記は戦後政治に合わせて選択されている。ある意味で、明治以後の歴史全体が封印されたとも言える。

 これは新たな言論統制であり、戦時中とは裏返しの画一的な国民意識が今日生まれているのではないか。その結果、「平和を守る最善の手段は、戦争に備えること」といった国際常識も迂闊(うかつ)には言えない状況になったと言えないか。

 私は大学の講義の初めに、毎年次のことを述べる。誰もが自分自身の考えや価値観を持っていると信じているが、それらは大抵、その時代・社会の常識や通念にすぎない。それに囚(とら)われない「自己の考え」を有している者は、100人に1人どころか1000人に1人もいないのではないか、と。

 その1人として私が思い出すのは、「暗黒日記」の清沢洌(きよし)や「一匹と九十九匹と」の福田恆存らである。

 今の平和・反戦主義者の大部分は、状況次第で戦時中の国民と同じになるだろう。


平和を口にする者が本当に平和を愛してゐるのか!?
ナショナリズムを口にする者が本当に日本民族の自覚を持つてゐるのか!?

 平和といふ名の美しい花を咲かせた日本の薔薇造りは、そのヒューマニズムといふ根がエゴイズムといふ虫にやられてゐる事に、果して気附いてゐるかどうか。そのけちくさい、小(ち)つぽけな個人的エゴイズムに目を塞ぎ、今度は同じヒューマニズムの台木にナショナリズムを接木して、平和と二種咲き分けの妙技を発揮しようとしてゐるのではないか。平和を口にする者が本当に平和を愛してゐるのか、ただ戦争を恐れてゐるだけなのではないか。ただ戦争を恐れるだけの消極的な精神が、平和を文化の創造と維持との原動力と為し得るだらうか。ナショナリズムを口にする者が本当に日本民族の自覚を持つてゐるのか、ただ個人的な消費生活の水準を落されたくないといふだけの事ではないのか。ただそれだけの消極的な精神が、文化共同体の源泉としてのナショナリズムに結集し得るだらうか。

── 福田恆存(『知識人の政治的言動』)

滅びゆく日本へ: 福田恆存の言葉

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