NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

イギリス海岸

 夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処(ところ)がありました。
 それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上(きたかみ)川の西岸でした。東の仙人(せんにん)峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截(よこぎ)って来る冷たい猿(さる)ヶ石(いし)川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
 イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずゐぶん広く露出し、その南のはじに立ちますと、北のはづれに居る人は、小指の先よりもっと小さく見えました。
 殊にその泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗はれるものですから、何とも云(い)へず青白くさっぱりしてゐました。
 所々には、水増しの時できた小さな壺穴(つぼあな)の痕(あと)や、またそれがいくつも続いた浅い溝(みぞ)、それから亜炭のかけらだの、枯れた蘆(あし)きれだのが、一列にならんでゐて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。
 日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子を冠(かむ)ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊(はくあ)の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。

― 宮沢賢治『イギリス海岸』


今日は宮沢賢治の命日です。


「賢治命名『イギリス海岸』姿見せて 命日にダム放流制限」(朝日新聞)
 → http://www.asahi.com/travel/news/TKY200809200215.html

 宮沢賢治の作品の舞台として知られ北上川河畔にある国の名勝「イギリス海岸」(岩手県花巻市)が、ここ10年来、川底に水没してほとんど姿を見せなくなり、訪れる賢治ファンをがっかりさせている。このため国土交通省は観賞できるよう北上川の三つのダムの放流を一時的に最小限まで絞り込む方針を決めた。賢治の命日の21日に実施される。

 イギリス海岸は賢治ゆかりの場所として、毎年、全国から多くのファンや観光客が訪れている。しかし、最近では10年ほど前の干ばつの時に姿を見せたぐらいだという。

 洪水調節や発電、灌漑(かんがい)のため北上川上流に造られた複数のダムによって、水位が高位で安定するようになったことが、原因の一つと考えられている。

 関係するダムは四十四田(盛岡市)、御所(同)、田瀬(花巻市)の3ダム。国交省北上川ダム統合管理事務所では、賢治関係者や地元花巻市からの要望に、2年がかりで放流調整を検討、稲刈りの時期で農業用水が多く必要とされず、賢治の命日で「賢治祭」が開かれる21日を選んで実施すると決めた。発電に関係する岩手県企業局や電源開発にも了解を得た。

 放流調整は20日午後9時〜21日午前9時まで。3ダムを合わせた最大毎秒150トンの放流量を最小限の34トンまでに絞る。管理事務所では過去のデータを分析、海岸は付近の流量が50トン以下に落ちた場合、姿を現すと見ている。

 放流水がダムから到達するには12〜13時間かかり、21日午前中には久しぶりに海岸が顔をのぞかせそうだ。

 管理事務所の葛西敏彦所長(55)は「イギリス海岸は北上川の宝。成功したら毎年実施したい」と話している。

 地元で長年、海岸を撮影し続けている吉田精美さん(79)は「もう見えないとあきらめていた。うれしいプレゼントです」と喜んでいる。(但木汎)

     ◇

 〈イギリス海岸〉 北上川と猿ケ石川の合流点に位置し、日が照るとイギリスのドーバー海峡の白亜の海岸に似て、岩が乾いて真っ白に見えることから賢治が命名した。太古の地層で炭化したクルミの実や獣類の足跡の化石が見つかっている。賢治は花巻農学校教員時代にしばしば生徒たちと訪れ、その時の模様を随筆風短編「イギリス海岸」に描いた。海岸のイメージは「銀河鉄道の夜」を始め多くの作品に影響を与えたと見られている。06年に国の名勝「イーハトーブの風景地」に指定。


宮沢賢治記念会』 http://www.miyazawa-kenji.com/
宮沢賢治 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)

「眼にて云う


だめでせう


とまりませんな


がぶがぶ湧いてゐるですからな


ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから


そこらは青くしんしんとして


どうも間もなく死にさうです

けれどもなんといゝ風でせう


もう清明が近いので


あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに


きれいな風が来るですな


もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に


秋草のやうな波をたて


焼痕(やけあと)のある藺草(ゐぐさ)のむしろも青いです


あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが


黒いフロックコートを召して


こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば


これで死んでもまづは文句もありません


血がでてゐるにかゝはらず


こんなにのんきで苦しくないのは


魂魄(こんぱく)なかばからだをはなれたのですかな


たゞどうも血のために


それを云へないがひどいです


あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが


わたくしから見えるのは


やっぱりきれいな青ぞらと


すきとほった風ばかりです。

― 『疾中』