越後の龍
「北越の蒼龍 “明治”に屈せず 〜河井継之助 地方自立への闘い〜」
→ http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_03.html
明治維新の幕開け、戊辰戦争。破竹の勢いで東征を進める新政府軍を食い止めたのが、越後の小藩・長岡藩である。長岡藩は、兵士わずか1300人で、四倍の兵力をもつ新政府軍に頑強に抵抗。その戦いぶりは、成立したばかりの新政府の存亡をも危ぶませるほど激しいものだった。
この長岡藩を率いたのが、家老・河井継之助である。早くから藩政改革を主導し、藩財政の立て直しや軍の近代化を成功させていた河井は、自立した諸藩が力を合わせることで、日本の富国強兵は成し遂げられると考えていた。しかし、中央集権体制の確立を急ぐ新政府は、戊辰戦争を開始。諸藩を制圧した新政府軍は、やがて長岡に迫ってきた。
新政府軍との戦争か、それとも恭順か。藩内の議論が真っ二つに分かれる中、新政府軍との交渉に臨んだ河井は、そのどちらでもない中立を訴える。しかし諸藩が次々と新政府の軍門に下る状況にあって、河井の中立構想は一蹴されてしまう。ここに河井は長岡藩の「自立」のために新政府軍に立ち向かうことを決断するのである。
番組では、地方の自立と発展を賭けて、強大な明治新政府に挑んだ河井継之助の闘いに迫る。
http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050819
『河井継之助記念館』 http://www2.ocn.ne.jp/~tadami/kawai.htm
『河井継之助 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E7%B6%99%E4%B9%8B%E5%8A%A9
かれは行動的儒教というべき陽明学の徒であった。陽明学というのは、その行者たる者は自分の生命を一個の道具としてあつかわなければならない。いかに世を済(すく)うかということだけが、この学徒の唯一の人生の目標である。このために、世を済う道をさがさねばならない。学問の目的はすべてそこへ集中される。
- 作者: 司馬遼太郎
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