NAKAMOTO PERSONAL

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病床六尺

「きょう19日糸瓜忌 松山で追悼の集い」(愛媛新聞
 → https://www.ehime-np.co.jp/article/news201709199807

 「子規逝くや十七日の月明に」(高浜虚子
 19日は、来月生誕150年を迎える俳人正岡子規(1867~1902年)の命日糸瓜(へちま)忌。午前10時から愛媛県松山市道後公園の子規記念博物館で追悼の集い、午後1時半からは同市末広町の正宗寺で子規忌法要が行われる。


1902年(明治35年)9月19日 正岡子規


脊椎カリエスに冒され、体中が腐り膿が流れ出る。
7年もの間、六尺の病牀の中、自死への逃避と闘いながら、もがき苦しみ続けた。

 ○病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅(わず)かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団(ふとん)の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚(はなは)だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤(まひざい)、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪(むさぼ)る果敢(はか)なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪(しゃく)にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして

病牀六尺 (岩波文庫)

病牀六尺 (岩波文庫)



だが、ある日、悟る。

 余は今迄禅宗の所謂(いわゆる)悟りといふものを誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。

── 正岡子規『病床六尺』

いかなる場合にも平気で生きる。