NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『星の王子さま』の真実

星の王子さまは「モラハラ」で殺された!? メルヘンチックな装いでコッソリ明かされる、この世界の恐ろしい秘密 『星の王子さま』の真実」(現代ビジネス)
 → http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47704

恐ろしい世界の構造が書かれた『星の王子さま

サン=テグジュペリの『星の王子さま』は、全世界で大ベストセラーとなっており、一億数千万部も売れたそうである。私はこれは、実に不思議なことだと思っている。なぜかというと、この本は、大人が、自分自身の目からも押し隠している、この世界の恐ろしい秘密が露骨に書かれているからだ。普通なら、こんな恐ろしい本を、子どもには絶対に読ませたくないはずである。

ところが。

どういうわけか大人たちはこの本を「子ども向けの無害で有益なメルヘン」か何かだと勘違いしていて、せっせと買っては自分の子どもに与えている。実に不思議である。

では、この本には何が書かれているのだろうか。

私の見るところこれは、家庭内における女性による男性に対する「モラル・ハラスメント」が主題であり、さらにそれを助長するおせっかいやきの外部者による「セカンド・ハラスメント」によって、王子が自殺に追い込まれる物語なのである。

そんな馬鹿な、と思われるかもしれないので、この小説のストーリーを時系列順にまとめてみよう。それだけで、私が言っていることがおわかりいただけるはずである。


王子とバラのこじれた恋愛関係

最初、王子は自分の小惑星で孤独に暮らしている。そこに種が飛んで来て、やがて芽を出す。「バオバブ」という危険な植物ではないかと注意しているが、詳細に観察してそうではないことがわかり、王子は抜かずにおいておく。やがてその植物は成長してつぼみをつくり、延々と勿体ぶって念入りにおめかしし、朝日と共に王子の前で花開く。

その美しさと香りに魅了されて「あなたはなんと美しいんだ!」と王子が言うと、バラは「でしょ?」と返事して、なんで私に水をくれないの、となじる。

こういうたぐいの微妙な攻撃を繰り返し、王子に悪いのは自分だと思い込ませ、さらには自責の念を抱かせる。バラは、王子を魅了しつつ言葉の棘でチクチクやる、ということを繰り返し、やがて王子は辛くなって、一日に夕日を44回も見るほどメランコリックになる。

これはつまり、バラがモラル・ハラスメントを王子に仕掛けている、ということである。

耐えられなくなった王子はついに、星を捨てて家出する決意を固める。念入りに星を掃除して、バラにさよならを言いに行く。王子は出て行くと言ったら、どんなひどい攻撃を受けるかと身構えていた。しかしバラは「あなたが好きよ」「おしあわせにね」「あたしばかだったわ」とか言う。この意外な反応で、王子への呪縛が完成するのである。

王子はのちに飛行士に対して、次のようなわけのわからないことまで言っている。

「ぼくは彼女の言うことなんか、聞いてはいけなかったんだ」

ある日、彼は私に打ち明けた。

「花の言うことなんか聞いてはいけない。花は見て、香りを嗅がなければいけない。ぼくのバラはぼくの星をいい香りで包んでくれた。だけどぼくはそれを楽しめなかった。あの爪の話だって、ぼくをうんざりさせるのではなくて、ぼくに同情させようとしたんだ……」

そして彼はさらに打ち明けた。

「その頃、ぼくは何も理解できていなかった。ぼくは彼女の言葉ではなく、行為に従って判断せねばならなかった。彼女はぼくの星をいい香りで包み、ぼくの生活を明るくしてくれた。ぼくは逃げ出すべきではなかった!彼女の愚かな策略の背後にある優しさを認識すべきだった。花って、なんて矛盾しているんだろう!でもぼくは、あまりに若くて、彼女をどうやって愛したらいいかわからなかった」

子どものはずの王子が「あまりに若くて」と言うのは、どう考えても変である。このことから、この物語が子ども向けのメルヘンのフリをして、実際には大人の男女のドロドロ関係を描いていることが明らかである。

このバラとの確執が、子どもに対して与える教訓はなんだろうか。それは、大人になって結婚なんかすると、往々にしてこういうひどい目にあって、家をとられて、自分はホームレスになって放浪する羽目になる、ということである。そしてさらに、もしかすると自分の両親の関係もまた、実のところこういうドロドロなのではないのか、という考えが子どもの脳裏をよぎってもおかしくはない。

どうしてこんな危険な本を、大人は身銭を切って、せっせと子どもに与えるのであろうか。


世界との関係が切れている大人たち

さて、王子は自分の星を捨てて、さまざまの小惑星を巡る。そこには頭のおかしい大人たちが住んでいる。王様、うぬぼれ屋、呑みすけ、ビジネスマン、点灯夫、地理学者と王子は出会う。彼らの共通点は、世界との関係が切れていることである。

王様は、勝手に起きるに決まっていることだけを命令し、自分の命令が貫徹されていることに満足する。

うぬぼれ屋は、自分一人しかいない星で、自分が星一番カッコいいことに自惚れている。

呑みすけは、酒を呑むのが恥ずかしくて、それをごまかすために酒を飲む。ビジネスマンは星という星を勝手に所有しているつもりになり、一生懸命にその数を数えている。

点灯夫だけは、街灯をつけたり消したりするという仕事をしていて、少しだけ世界と関わっているが、星の自転が早くなりすぎて、一分毎につけたり消したりするので、これまた無意味になっている。

地理学者は、冒険家が見てきたものを聞き取って記録するだけで、自分では何もしない。

物語のなかの大人たちは、世界との関係が切れているというのに、世界を動かす大切な仕事に忙殺されているつもりになっている。それは、あなたのまわりの大人も同じなのだ。

これがサン=テグジュペリが子供に伝えようとした大事なメッセージである。成長するとそのような狂った世界で暮らさねばならない、いや、生まれた時からそのような世界に投げ込まれているのだ、という恐ろしいメッセージをサン=テグジュペリは伝えようとしている。


「自分が悪い」と思い込まされるハラスメント被害者

ここで地理学者は王子に余計なことを言う。王子が自分の星には花がある、と申告すると、そんなものははかないから記録しない、と言い放つのである。

はかない、という言葉が、弱いからそのうち消えてなくなる、というような意味だと言われて、王子は、はかないバラを置いて星を出たことを後悔しはじめるのである。

地理学者の勧めで王子は地球に向かう。そこでショックなことが起きる。ある庭に迷い込んだらそこに五千本もバラが咲いていたのである。王子の星のバラは、自分は宇宙でたった一本の貴重なバラなんだ、と言っていたのだが、それが嘘であることが明らかとなった。

ここで王子は奇妙な反応をする。こんな場面をバラが見たらどうなるか、と考えて、次のように言う。

「彼女はとっても自尊心を傷つけられて怒るだろうな」と彼は独白した。

「もし彼女がこれを見たら……途方もなく咳き込んで、笑いものになるのを逃れるために、死ぬフリをするだろうな。そしたらぼくは、彼女を介抱するフリをせざるを得ない。なぜなら、そうでなければ、ぼくを侮辱するために、彼女は本当に死んでしまうだろうから……」

実に恐ろしいことである。ハラスメントの被害者は「自分が悪い」と思い込まされて、加害者の視点でモノを考えるように仕込まれてしまう。それゆえ王子は、バラが自分を騙していた、という事実に直面したというのに、それに腹を立てるのではなく、そのことが露呈したらバラが自尊心を傷つけられることを恐れ、介抱せざるを得ない、というようなシミュレーションをしているのである。


非対称な関係性を、対称な関係に見せかける

ちょうどそのときに王子は狐と出会う。これが王子を自殺に追い込むおせっかい者である。狐は「飼いならす」という言葉を王子に教え、その意味は「関係を取り結ぶ」ことだと言う。

明らかにこの説明はおかしい。なぜなら、飼いならすというのは一方的行為であって、「飼いならす/飼いならされる」という方向性が必然的にある。ところが、「関係を取り結ぶ」という言葉は双方向であって、両者は対等である。非対称な関係性(たとえば、支配/被支配)を、対称な関係(たとえば契約関係)に見せかける、というのは欺瞞であり、モラル・ハラスメントの真髄でもある。

しかしこのとき、王子は次のように言う。

「だんだんわかってきた」と小さな王子は言った。「花が一輪あってね。。。彼女が私を飼いならしたんだと思うんだ。」

これはつまり、王子が正常に事態を認識していることを示している。あのバラが、王子を、飼いならした、というのであるから。

ところが狐はこの重要な点を誤魔化してしまう。そして、王子との別れ際に次のように宣言する。

「人はこの真理を忘れてしまった」と狐は言った。「しかし、あなたは忘れてはいけない。あなたは、あなたが飼いならしたものに対して、永遠に責任がある。あなたは、あなたのバラに責任がある。」

これは明らかにおかしい。王子はバラが彼を飼いならした、と言っているのであるから、永遠に責任があるのはバラの方である。ところが狐は、「飼いならす=関係を結ぶ」という嘘に依拠し、

 バラが王子を飼いならした
=バラと王子とが関係を結んだ
=王子とバラとが関係を結んだ
=王子がバラを飼いならした

ということにしてしまったのである。


なぜ王子は毒蛇に自らを噛ませたのか

かくして王子が、地理学者の星で抱き始めた自責の念は、この宣言によって爆発的に拡大し、彼を苦しめるのである。そして彼は、「星に帰る」決意をする。しかしどういうわけか、来ることはできても、帰ることはできないらしく、王子は身体を置いていかなければならないというのである。

それで王子は毒蛇に頼んで、噛んでもらうことにする。これはつまり、死んで魂だけ星に帰る、ということである。簡単にいえばこれは、自殺である。

この自殺の決意をしたところで王子はようやく、飛行士と出会う。砂漠に不時着して命の瀬戸際で寝ている飛行士に、「羊を描いて」とせがんで、驚かせるのである。飛行士との対話は王子にほとんど何の影響も与えず、彼は予定通り、毒蛇に自分を噛ませて死んでしまう。

死に際に彼が、

「私の花……私は彼女に責任がある。」

と言っていることから、これが自責の念による自殺であることが明らかである。

そういうわけで、この物語は、とっても怖い話なのである。しかも、大人の側からすれば、子どもにバレたら困ることがたくさん書かれている。こんな話を、親たちが喜々として子どもたちに読ませているのは、実に不思議だ、と私が言っている理由をおわかりいただけたかと思う。

そしてサン=テグジュペリは、メルヘンのオブラートに包むことにより、今も多くの子供たちに、この世界がどれほどおぞましい力にとりつかれていて、どれほど危険であるか、警告し続けているのである。

このようなとてつもないことに成功した人は、彼の他にいないと思う。なんという偉大な小説家であろうか。

「人間はみんな、ちがった目で星を見てるんだ。旅行する人の目から見ると、星は案内者なんだ。ちっぽけな光くらいにしか思ってない人もいる。学者の人たちのうちには、星を難しい問題にしている人もいる。ぼくのあった実業屋なんかは、金貨だと思ってた。だけど、あいての星は、みんな、なんにもいわずにだまっている。でも、きみにっては、星が、ほかの人とはちがったものになるんだ・・・」

── サン=テグジュペリ『星の王子さま』

星の王子さま―オリジナル版

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