NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「いつだって、読書日和」

「【主張】読書週間 『いつだって』近くに友が」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/151030/clm1510300002-n1.html

 秋の読書週間に入っている。11月9日までだ。我を忘れ、本の世界に思いきり遊んでみたい。

 この夏以降、本にまつわるさまざまな話題があった。なかでもお笑い芸人、又吉直樹さんの芥川賞受賞は、国民の大きな関心を呼んだ。

 昨今は純文学が敬遠されがちであることに加え、出版不況も指摘されるなか、受賞作「火花」の単行本は過去の受賞作と比べても異例の売れ行きである。「火花」を手にとった人が、次は又吉さんが心酔したという太宰治の作品にも触れたい、またその次は…というふうに、文学作品への興味がどんどん広がっていくことを期待したい。

 どちらかといえば、いまは文学に対する風当たりが強まりつつあるようにも思われる。文部科学省が6月に出した通知は、国立大の人文社会科学系学部などの廃止や見直しを求めるもので、「文系軽視」との反発を招いている。

 このことが感受性豊かな若者世代の文学離れにつながりはしまいかと懸念もされるが、文学など人間への理解、人生への洞察を深めてくれる本を読むことは、知識の涵養(かんよう)だけが目的の読書とは、その意義の点で大きな違いがある。

 前者は何より、精神の背骨を鍛え、感情の有酸素運動を促してくれる。没頭の時間のなかで少し立ち止まり、考え、想像し、共感する。その過程において人は、現実には起こり得ない出来事を体験でき、他人の喜怒哀楽や人生さえも自分のことのように味わえる。

 読書について吉田兼好は「徒然草」で、見たこともない昔の人を友とするのは至上の慰めだと書いた。昔の人とは限るまい。本の世界ではどんな人とも友になれる。友との交わりで、どれほど気持ちが豊かになることだろう。

 8月末、神奈川県鎌倉市の図書館の職員が、死ぬほどつらい子は図書館へいらっしゃいと呼びかけたことも注目された。不登校を助長するとの議論にも耳を傾けねばならないが、図書館の本と出合った子供が登場人物と友達になり、勇気づけられ、新たな生き方に一歩踏み出せるとしたら、それはそれで素晴らしいことである。

 「いつだって、読書日和」。今年の読書週間の標語のとおり、一冊に手を伸ばすチャンスはいつだってある。要はそのチャンスを逃さないことだ。いつだって、そばに友達がいると信じて。



公益社団法人 読書推進運動協議会』 http://www.dokusyo.or.jp/



「【産経抄】10月31日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/151031/clm1510310004-n1.html

 27日からの「読書週間」が始まる直前の先週末、書店で気になる場面に出くわした。友人に連れられて漫画コーナーに来たらしい男子中学生がこう語っていた。「俺、漫画や小説は意味が分からないから、読まないんだ」。

 若者の活字離れが指摘されて久しい。ただ、経験則で言えば、本を手に取らない子供は漫画も読まない傾向があるようだ。40年以上も漫画に慣れ親しみ、今もそこからさまざまなことを学んでいる小欄としては、もったいないと言うほかない。

 毎日新聞と全国学図書館協議会の合同調査によると、活字を読む時間が増すにつれて、漫画を「よく読む」と答える割合も増える傾向が小・中・高校で共通していた(27日付同紙朝刊)。漫画は活字離れの元凶どころか、活字と親和性が高いことが分かる。

 実は、こうした結果は以前から表れていた。早くも平成5年には、明石要一・千葉大教授(当時)らの研究グループが「漫画好きの子供は勉強もできる」というリポートを発表している。それによると、漫画好きの子供ほど読書量が多く、漫画に熱中する子供と国語の成績に高い相関関係がみられた。

 そもそも、漫画を活字離れの原因のように決め付け、漫画と一般書を区別することに根拠はあるだろうか。小説や評論に傑作も駄作もあるように、漫画もピンからキリまであるだけではないか。渡辺航さんの人気自転車漫画『弱虫ペダル』のように、小説化される作品も珍しくない。

 わが国は質量ともに、世界に冠たる漫画大国である。麻生太郎副総理兼財務相の漫画好きはつとに知られているが、安倍晋三首相もまた、漫画には一家言あるという。子供たちに漫画を読ませることに、躊躇(ちゅうちょ)する理由などありはしない。

そんな訳で、久し振りに漫画でも買ってみる。