「平和なときの平和論」
翁は言いました。
内村鑑三は「平和なときの平和論」と言いました。ずいぶん昔言った言葉ですが、いまだに生きて痛切ですから私は再三引用して、しまいには自分の言葉のような気がして失礼しています。これを聞いて何が分るかというと、平和なときに平和論を唱えるのは、勇気がいるように見えますから皆さん言いますが実はちっともいりません。
勇気は戦争になってから平和論を唱えるほうにいります。言えば袋だたきにされます、うしろに手が回ります、それでも言いはると牢屋に入れられます。このとき袋だたきにするのは、ほかでもないあの平和なときに平和論を唱えた者どもです。
── 山本夏彦(『何用あって月世界へ』)
9条教。
『九条の会』
金科玉条、既に教義と化し、信仰となっている9条。
道新も然り。
「卓上四季『奥平さん』」(北海道新聞)
→ http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/season/2-0025273-s.html
哲学者のカントは「永遠平和のために」で、恒久平和の実現に向け段階的な常備軍の全廃など具体的な条件を論じている▼1月に急逝した憲法学者奥平康弘さんが生前最後に読み返していたのが、この文庫本だった。奥平さんの「志を受けつぐ会」がおととい東京・調布市で開かれ、そのことを知った。真の平和主義とは何なのか。積極的平和主義の名の下で安全保障政策の転換が進む中、深い憂慮を持って手にしたのではないか▼憲法9条を守ろうと訴える「九条の会」の呼びかけ人の一人であるとともに、いくつもの市民活動に加わった。深い学識に裏打ちされた、ぶれない立ち位置はどの場でも信頼を受けた。会場には約900人が集まり、その人柄をしのんだ▼行動に駆り立てたのはやはり生まれ育った函館での戦争体験だろう。基本的人権すら軽んじた軍国主義の拡大。若き日に国の骨格をつくる憲法に深い関心を寄せたのは想像できる▼最後に参加した集会の映像を見ると「普遍」の言葉を幾度も使っている。時代を超えて、どの人々にとっても大事な事柄や意味がある。それを大切にする姿勢に見えた▼「9条が戦後の若い人たちの人間性を形作った」とは奥平さんの発言だ。「九条の会」の同志である大江健三郎さんが紹介した。「平和主義は、近代の人々の魂に関わる事柄だ」とも述べている。これらの深い意味を教わりたかった。
『九条の会』 https://www.9-jo.jp/
「『九条の会』で指摘された民主党の意外な功績とは 共産党の栄光の歴史もお忘れなく!」(産経新聞) http://www.sankei.com/politics/news/140525/plt1405250021-n1.html
賢者は言います。
明らかな事は、第九条の意図は飽くまで謝罪といふ消極的性格のものに過ぎぬといふ事であります。一般に敗北者にどの程度誠意があつたかを追究するのは、自衛の為の軍備と侵略の為の軍備との間にどこで境界線を引いたら良いかを計るのと同様、野暮な話といふもので、当時の日本人は謝罪したはうが良いと考へ、その気持ちを憲法に盛り込まうとした、そこまでは良かつたのです。まさか憲法といふ恒久的な性格のものに一戦争の、それも謝罪といふ消極的なものを明記する訳にも行きません。その結果、第九条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」といふが如き理想主義を闡明(せんめい)するものとなつてしまつたのです。あれだけの大戦争を行つた同一国民が負けた瞬間に、平和の権化としてその使命感に生きるといふ宣言をするのは、どう考へても無理といふものです。ですから、この一文は、形式は、理想主義といふ積極的性格のものであつても、内意は謝罪といふ消極的性格のものと解するほかなく、これは日本国民にとつて致命的な不幸だつたと言へませう。成る程、それは日本人を敗北感から、のみならず罪悪感から救ひ出し、再生の道を歩ませる為の「みそぎ」の役割を果したかも知れませんが、反面、道徳的に負なるものを正なるものに擦り替へるといふ無意識的な自己正当化の狡さを教へ込んだのであります。
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