『柿の種』
寅彦続き。
「天災は忘れた頃にやって来る」の寺田寅彦。
物理学者にして随筆家、俳人。
『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八は彼がモデルである。
脚を切断してしまった人が、時々、なくなっている足の先のかゆみや痛みを感じることがあるそうである。
総入れ歯をした人が、どうかすると、その歯がずきずきうずくように感じることもあるそうである。
こういう話を聞きながら、私はふと、出家遁世の人の心を想いみた。
生命のある限り、世を捨てるということは、とてもできそうに思われない。
生来の盲人は眼の用を知らない。
始めから眼がないのだから。
眼明きは眼の用を知らない。
生まれた時から眼をもっているのだから。
「ダンテはいつまでも大詩人として尊敬されるだろう。……だれも読む人がないから」
と、意地の悪いヴォルテーアが言った。
ゴーホやゴーガンもいつまでも崇拝されるだろう。……
だれにも彼らの絵がわかるはずはないからである。
夢の世界の可能性は、現実の世界の可能性の延長である。
どれほどに有りうべからざる事と思われるような夢中の事象でも、よくよく考えてみると、それはただ至極平凡な可能性をほんの少しばかり変形しただけのものである。
してみると、事によると、夢の中で可能なあらゆる事が、人間百万年の未来には、みんな現実の可能性の中にはいって来るかもしれない。
もしそうだとすると、その百万年後の人たちの見る夢はどんなものであるか。
それは現在のわれわれの想像を超越したものであるに相違ない。
彼はある日歯医者へ行って、奥歯を一本抜いてもらった。
舌の先でさわってみると、そこにできた空虚な空間が、自分の口腔全体に対して異常に大きく、不合理にだだっ広いもののように思われた。
……それが、ひどく彼に人間の肉体のはかなさ、たよりなさを感じさせた。
またある時、かたちんばの下駄をはいてわずかに三町ばかり歩いた。すると、自分の腰から下が、どうも自分のものでないような、なんとも言われない情けない心持ちになってしまった。
それから、……
そんな事から彼は、おしまいには、とうとう坊主になってしまった。
平和会議の結果として、ドイツでは、発動機を使った飛行機の使用製作を制限された。
すると、ドイツ人はすぐに、発動機なしで、もちろん水素なども使わず、ただ風の弛張(しちょう)と上昇気流を利用するだけで上空を翔けり歩く研究を始めた。
最近のレコードとしては約二十分も、らくらくと空中を翔けり回った男がある。
飛んだ距離は二里近くであった。
詩人をいじめると詩が生まれるように、科学者をいじめると、いろいろな発明や発見が生まれるのである。
雑草をむしりながら、よくよく見ていると、稲に似たのや、麦に似たのや、また粟に似たのや、いろいろの穀物に似たのがいくつも見つかる。
おそらくそれらの五穀と同じ先祖から出た同族であろうと想像される。
それが、自然の環境の影響や、偶然の変移や、その後の培養の結果で、現在のような分化を来たしたものであろう。
これらの雑草に、十分の肥料を与えて、だんだんに培養して行ったら、永い年月の間には、それらの子孫の内から、あるいは現在の五穀にまさる良いものが生まれるという可能性がありはしないか。
人間の種族についてもあるいは同じことが言われはしないか。
自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人はめったにいないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、美点は自覚することによってそこなわれ亡(うしな)われるせいではないかと思われる。
- 作者: 寺田寅彦
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