NAKAMOTO PERSONAL

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非常時克服できる国家を

「【主張】あす終戦の日 非常時克服できる国家を 『戦後の悪弊』今こそ正そう」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110814/plc11081402470001-n1.htm

 「大地裂け 海吠(ほ)え叫ぶこの夕べ 英霊の声 聴く吾がゐて」。脚本家の倉本聰(そう)さん(76)が7月の靖国神社のみたままつりに奉納したぼんぼりの揮毫(きごう)である。66年前の戦災の焼け野原やがれきが、3月11日の東日本大震災の惨状と二重写しになり、南の海で散った英霊に思いをはせたのだと言う。

 66回目の終戦の日を15日に迎える。国に尊い命を捧(ささ)げた軍人・軍属と民間人計310万人への慰霊の日である。深く頭(こうべ)をたれて追悼しつつ、国家と民族のありように思いを致したい。

 ≪国民の生命を守れたか≫

 今年、死者・行方不明者2万人を超えた大震災の痛ましさと無念さを日本人は心に刻み込んだ。国家や民族について、自らの問題として初めて考えた人も多かったに違いない。過酷な被災地支援に当たった自衛隊などの国家組織の活躍も目に焼き付いた。津波で町長が亡くなった岩手県大槌町では中学生たちが「ちびっこ自衛隊」を名乗り、がれきの後片付けをしていた。感動的だった。

 だが、2万人もの犠牲者数は、国家が最大の責務である国民の生命と財産を守り抜けなかった事実を示している。津波の規模を想定し、避難場所やルートを精査する措置がとられていたら、犠牲者はもっと少なかったはずだ。

 東京電力福島原発事故にしても、非常用電源が津波で水没する事態を考え、リスク分散すれば、この惨状には至らなかった。

 問題は、非常事態を想定外として考えてこなかった戦後日本の国のかたちとリスク感覚なのである。主要国のほとんどが憲法に設けている非常事態条項について、日本国憲法第54条は「内閣は参院の緊急集会を求めることができる」にとどめている。中途半端な条項では国家として非常時に何をなすべきかを決められない。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義」(憲法前文)に、一国の安全と生存を委ね、思考を停止してきた悪弊が幅をきかせている。

 しかも、戦後民主主義者が集まる国家指導部は即、限界を露呈した。緊急事態に対処できる即効性ある既存の枠組みを動かそうとさえしなかったからだ。安全保障会議設置法には、首相が必要と認める「重大緊急事態」への対処が定められているが、菅直人首相は安保会議を開こうとしなかった。重大緊急事態が認められれば、官僚システムは作動し、国家は曲がりなりにも機能したはずである。

 これらは、66年前の日本と奇妙に符合する。国策遂行指導の誤りにより重大な失敗を重ね、無残な破局に至った時代である。

 今年70年を迎える日米開戦に関し、昭和16年8月末、日本の国力は耐えられず、ソ連参戦も予想され、戦争は不可能という結論を政府の総力戦研究所が提議した。

 ≪「強く、頼れる国」めざせ≫

 これに対し、第3次近衛文麿内閣の一員だった東条英機陸相(のち首相)は日露戦争の勝利を引き合いに「意外裡(いがいり)の要素を考慮していない」と一蹴した。見たくない現実から目をそむけただけだ。

 その2年前には独ソ不可侵条約締結に対し、「欧州情勢は複雑怪奇」と総辞職した平沼騏一郎内閣もあった。国家指導者の戦略観の欠如と判断ミス、いわば無能が敗北を決定的にしたといえる。それはいまの指導部と酷似する。

 戦後未曽有の窮状下にある日本の弱さに、中国やロシアなど軍備を増強し続けている周辺国は虎視眈々(たんたん)とつけこもうとしている。

 日本は現在、国家の命運を左右するエネルギー戦略で重大な岐路に立たされている。一つは、脱原発のムードに流され、代替手段を万全にすることなく、原発をゼロにしようという選択だ。もう一つは、世界一安全な原発を目指し、これまでの技術力を発展・継承していく共存の道である。

 前者は、米国家経済会議(NEC)前委員長のサマーズ米ハーバード大学教授が「誠に残念ですが、日本は貧しい国になるでしょう」と語った世界だ。

 後者は、責任ある大国として今一度、立ち上がることを意味しよう。いずれも相当の覚悟が必要だが、世界に影響を与える英知と勇気に富んだ「強く、頼れる国」として日本を立て直すしか、存続と繁栄のシナリオは描けない。

 それこそが自ら死地に赴いた英霊の祖国繁栄の礎になるという思いに応えることであり、鎮魂につながっていく。