NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

反原発・原発推進

「石原氏のヒステリー発言、社民・福島氏『人間の感覚から遠い』」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110615/stt11061516560010-n1.htm

 社民党福島瑞穂党首は15日の党会合で、自民党の石原伸晃幹事長が原発再開をめぐるイタリアの国民投票で反原発派が勝利したことを「集団ヒステリー状態」と指摘したことについて、「『命を大事にしたい』という生身の人間の感覚からほど遠い」と批判した。

 同時に「自民党が原発を推進してきた結果、福島第1原発事故が起きた。世界の人々の気持ちが全く分かっていない(原発)利権の政党だ」と非難した。

「自民・石原氏、反原発は『集団ヒステリー』」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110615/stt11061508010002-n1.htm

 自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、東京電力福島第1原発の事故後、反原発の動きが広がっていることについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた。

 「反原発は簡単だ。脱原発というのも簡単だ。しかし生活を考えたときどういう選択肢があるのか示さなければいけない」とも指摘した。

「『原発ヒステリー』批判 イスラエルの学者」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/world/news/110322/mds11032221450009-n1.htm


石原氏の発言を支持する。
今、世界は集団ヒステリー状態にある。
今や『反原発』は金科玉条、錦の御旗である。
原発推進者の主張は抹殺され、魔女狩り、村八分となる。『反原発=正義』『原発推進=悪』という空気が醸成されつつある。
理論・理屈は無視され『反原発批判者=原発推進者』と見なされる。
そして最後には『反対か、推進か』単純化された二者択一の『踏み絵』である。


山本七平はこの反論を認めない絶対的正義権力を『空気』と呼んだ。

いわば彼を支配しているのは、今までの議論の結果出てきた結論ではなく、その「空気」なるものであって、人が空気ら逃れられない如く、彼はそれから自由になれない。従って、彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果としてでなく、「空気」に適合しているからである。採否は「空気」が決める。従って「空気だ」と言われて拒否された場合、こちらにはもう反論の方法はない。人は、空気を相手に議論するわけにいかないからである。

この言葉は一つの“絶対の権威”の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振るっているのに気づく。「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では・・・」「議場のあのときの空気からいって・・・」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても・・・」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々々、至る所で人びとは、何かの最終決定者は「人でなく空気」である、と言っている。

むしろ日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。


この『空気』に抵抗出来る唯一のものが『水』である。
「話に水を差す」如く『水』を差し続けることが必要である。



水を差し続ける産経新聞の【主張】を支持する。


「【主張】伊も脱原発 日本から流れを変えよう」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110615/plc11061503060004-n1.htm

 イタリアの脱原発が決まった。原子力発電再開の是非を問う国民投票で反対票が圧倒的多数を獲得したためである。

 ドイツ、スイスの両国も、原発の順次閉鎖を決めたばかりだ。欧州全体でみれば、フランスや英国など原発堅持の国が多いとはいえ、東京電力福島第1原発の事故を引き金に欧州の一部で原発離れの潮流が勢いを増しつつある。

 各国の意思は尊重したいが、正しい選択なのだろうか。持続可能なエネルギー政策であるのかどうか冷静な見極めが必要だ。

 イタリアの事情はある面で、日本と似る。海に囲まれた地震火山国でエネルギー資源に乏しい。

 だから原子力発電の有用性に着目し、1960年代の半ばから商業発電を開始したが、86年のチェルノブイリ事故を受け、4基あった原発は90年までに閉鎖された。その後、原子力発電の再開などを公約に掲げて当選したのが、現在のベルルスコーニ首相である。

 イタリアの電力は、火力発電が80%を占めており、電力料金が高い。二酸化炭素の排出削減にも苦しんでいる。2003年には計画停電を余儀なくされもした。

 そんな状況下にあって、イタリアは再び「原発にサヨナラ」を告げた。ただし、不足分はフランスから原子力製の電力を買って使える。そこが、外国からは電力を融通してもらうことができない、日本との決定的な差異である。

 感性に流れる選択よりも、理性に基づく判断が必要だ。安全性を再確立して範を世界に垂れ、脱原発の流れを食い止めるのは、事故を起こした国として日本が国際社会に果たすべき責務であろう。

 にもかかわらず、日本国内の原発は事故機を含め3分の2が停止している。定期検査後も地元の了解が得られず、運転再開できない原発が増えているためだ。法的根拠を欠く運転不能は、国家の機能不全だ。菅直人首相と海江田万里経済産業相の傍観は許されない。原発立地県を行脚し、首長に運転同意を「要請」すべきである。

 このままだと、日本は、諸外国の目に脱原発路線と映る。それが第4、第5のドイツ、イタリアを生みかねない。脱原発の電力不足は火力発電に委ねられ、原油や天然ガスの価格高騰を招く。エネルギー不足とコスト高は日本経済、ひいては世界経済にも悪影響を与えかねないのである。

「【主張】ドイツの脱原発 実態知らずの礼賛は禁物」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/world/news/110608/erp11060803170000-n1.htm
「【環球異見】ドイツの脱原発と日本」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/world/news/110606/amr11060614330007-n1.htm




水を差し続けた夏彦翁のことば。(『何用あって月世界へ』)より

  • 理解をさまたげるものの一つに、正義がある。良いことをしている自覚のある人は、他人もすこしは手伝ってくれてもいいと思いがちである。だから、手伝えないと言われるとむっとする。むっとしたら、もうあとの言葉はあ耳にはいらない。
  • 善良というものは、たまらぬものだ。危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ。
  • 私は断言する。新聞はこの次の一大事にも国をあやまるだろう。
  • 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。

してみれば言論の自由とは、大ぜいと同じことを言う自由である。大ぜいが罵るとき、共に罵る自由、罵らないものをうながして罵る自由、うながしてもきかなければ、きかないものを村八分にする自由である。

── 山本夏彦『毒言独語』

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)