NAKAMOTO PERSONAL

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『暴力装置』発言

「仙谷氏『暴力装置』発言 謝罪・撤回したものの…社会主義夢見た過去、本質あらわに」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101118/plc1011182236025-n1.htm

 仙谷由人官房長官は18日の参院予算委員会で、自衛隊を「暴力装置」と表現した。直後に撤回し「実力組織」と言い換えた上で「法律上の用語としては不適当だった。自衛隊の皆さんには謝罪する」と陳謝した。菅直人首相も午後の参院予算委で「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけることになり、おわびする」と述べた。首相は18日夜、仙谷氏を執務室に呼び「今後、気を付けるように」と強く注意した。特異な言葉がとっさに飛び出す背景には、かつて学生運動に身を投じた仙谷氏独特の思想・信条があり、民主党政権の自衛隊観を反映したともいえそうだ。(阿比留瑠比)
 「昔の左翼時代のDNAが、図らずも明らかになっちゃった」
 みんなの党渡辺喜美代表は18日、仙谷氏の発言について端的に指摘した。
 「暴力装置」はもともとドイツの社会学者のマックス・ウェーバーが警察や軍隊を指して用い「政治は暴力装置を独占する権力」などと表現した言葉だ。それをロシアの革命家、レーニンが「国家権力の本質は暴力装置」などと、暴力革命の理論付けに使用したため、全共闘運動華やかなりしころには、主に左翼用語として流通した。
 現在では、自衛隊を「暴力装置」といわれると違和感がある。だが、旧社会党出身で、東大時代は日韓基本条約反対デモに参加し、フロント(社会主義青年同盟構造改革派)で活動していた仙谷氏にとっては、なじみ深い言葉なのだろう。

 国会議事録で「暴力装置」との表現を探しても、「青春をかけて闘った学生を、自らの手で国家権力の暴力装置に委ね…」(昭和44年の衆院法務委員会、社会党の猪俣浩三氏)、「権力の暴力装置ともいうべき警察」(48年の衆院法務委、共産党の正森成二氏)−などと主に革新勢力が使用していた。
 18日の国会での反応をみても、自民党の丸川珠代参院議員は「自衛隊の方々に失礼極まりない」と批判したが、共産党穀田恵二国対委員長は「いわば学術用語として、そういうこと(暴力装置との表現)は当然あったんでしょう」と理解を示した。
 民主党岡田克也幹事長は「人間誰でも言い間違いはある。本来、実力組織というべきだったかもしれない」と言葉少なに語った。
 仙谷氏は著書の中で、「若かりし頃(ころ)、社会主義を夢見た」と明かし、その理由としてこう書いている。
 「社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ、その能力は全面的に開花し、正義が完全に貫徹しているという*1ア・プリオリな思いからであった」
 仙谷氏は後に現実主義に「転向」し、今では「全共闘のときの麗しい『連帯を求めて孤立を恐れず』を政治の場でやるとすってんてんの少数派になる。政治をやる以上は多数派形成をやる」(7月7日の講演)と述べている。とはいえ、なかなか若いころの思考形態から抜け出せないようだ。
 「ちょっと言葉が走った。ウェーバーを読み直し、改めて勉強したい」
 18日午後の記者会見で、仙谷氏はいつになく謙虚にこう語った。

「仙谷氏、自衛隊は『暴力装置だ』発言 自民の抗議で直後に撤回し『謝罪する』」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101118/plc1011181123004-n1.htm
「『暴力装置』発言は『仙谷氏の本音』田母神俊雄氏」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101118/plc1011181849018-n1.htm


国を守る自衛隊に対し、暴力装置とは。
これまでの発言、行動からみても、本音が出たと言われても仕方があるまい。

*1:(注)「ア・プリオリ」は「先験的」の意味