NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「民意」

「【正論】宗教学者・山折哲雄 なぜ『民意』の現場でたたかわぬ」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100624/stt1006240325000-n1.htm

 また、国政選挙がはじまった。鳩山内閣が誕生して8カ月、あっというまに菅政権が誕生した。1年たらずで、政権交代から内閣交代へと推移したわけだ。

 その間、いろんなところからきこえてきたのが、首相の顔を変えなければ選挙に勝てない、という嘆きの声、声であった。それは、ついさきごろの自公政権の場合でもみられた哀れな光景である。古手、新参の別なく、政権を担うほとんどすべての国会議員の口からもれてくる異口同音の嘆きの声だった。

 ≪周五郎の長編差し入れの理由≫

 首相という名の首をすげ替えなければ選挙をたたかえない政治家たちの群れである。口先では、「民意」を問えという。付和雷同して、「草の根の民主主義!」と叫んでいる。ならばなぜ、その「民意」の現場でひとりたたかおうとしないのか。その「草の根」の現場で、首や看板などをあてにせず、たたかおうとしないのか。

 新聞を読んでいても、テレビを見ていても、それに答えてくれるような場面に出くわすことはほとんどなかった。そんな落胆の淵(ふち)にさ迷いこんでいるときだった。ある新聞の片隅にのっている面白い記事に気がついた。昨年のことだったが、小沢一郎民主党幹事長にまつわる政治とカネの問題が紛糾し、元秘書氏が逮捕されるということがあった。そのとき小沢陣営の支持者の誰かが、その獄中の被疑者のもとに山本周五郎の長編小説『樅ノ木は残った』を差し入れたのだという。私ははじめ、これは例によってガセネタにちがいないと疑ったのだが、やがてなるほどと納得したのである。

 『樅ノ木は残った』は、伊達騒動をテーマにした作品である。伊達62万石の藩内に、保守派と進歩派による権力闘争がおこる。そのスキに乗じて、こんどは幕府がお家取りつぶしをねらう。通説では、進歩派に属する家老の原田甲斐が騒動の主犯とされてきた。

 つまり腹黒い悪人というわけだった。だが、じつはそうではなかった。悪人の相は原田のオモテの顔にすぎず、本当の顔は、ひそかに藩の危機を救うため、みずから凶刃に伏した忠誠のさむらい、それが作家、山本周五郎の見立てであった。その一冊を、顔のみえない政治家の誰かが、獄中にいる政治家の被疑者にひそかに贈ったのだという。私は、このうさんくさい新聞ゴシップのなかに、一片の「民意」らしいものの影を感じて、楽しい妄想をふくらませることができたのだった。

 ≪首のすげ替えに続くW杯狂騒≫

 首のすげ替え劇のあとに踵(きびす)を接して登場してきたのが、南アフリカのサッカーW杯大会をめぐる過熱報道だった。フロントページからはじまって、選手たちの活躍ぶりがウラ話を含めて微に入り、細をうがって書き立てられていた。テレビにおける耳を聾(ろう)するばかりの狂騒曲は申すまでもない。

 ところが、その一連の報道合戦のなかで、とつぜん私の眠気を覚ましてくれるような記事が目にとまった。いわく、南アフリカには世界一を誇る豪華新幹線が走っている、という話である。ブルートレインという、ギネス・ブックにものっている走る超高級ホテル、というのだから驚かされた。何というキャッチコピー…。

 そのニュースにふれて私が思いおこしたのが、今からおよそ110年前、インドのガンジーがこの南アの地でしたたかに体験させられた屈辱の物語だった。英国で弁護士資格をとり、意気揚々とこの地にのりこんできた若きガンジーの姿を想像してほしい。だが胸を張って白人専用の列車にのりこんだ彼は、たちまち引きずりおろされ、黒人たちの三等列車に押しこまれてしまったのである。

 このときの事件を機に、ガンジーは英国で身につけた一切の肩書と資格を脱ぎ捨てて立ち上がる。アパルトヘイト(人種隔離)政策にたいする非暴力闘争が誕生したのだった。このガンジーのたたかいの方式は、祖国インドにおける独立運動へと受けつがれ、戦後になって、こんどはアメリカの公民権運動の指導理念となって息を吹き返す。マーチン・ルーサー・キング牧師の登場をみたのである。

 ≪1世紀の歴史を刻む物語≫

 このガンジー、キングをへて手渡された「非暴力」という松明の火を、その思想的なふるさとともいうべき南アフリカの地でふたたび高く掲げたのが、ほかならぬネルソン・マンデラ元大統領だった。今から46年前のことだ。そのとき氏は国家反逆罪で終身刑を宣告され、捕らわれの身となる。だが、27年という気の遠くなるような獄中生活をのりこえて釈放され、1994年以来、黒人初の大統領として新生南アフリカを牽引(けんいん)してきたのだった。

 今回の、世界を熱狂させているW杯大会の開催も、氏が先頭に立って誘致に力を尽くしたのだという。とすれば、世界の観衆をまきこむ「サッカー」の物語が、じつはほぼ1世紀の歴史を刻む「非暴力」の物語とつよい絆(きずな)で結ばれていたことを思わないわけにはいかないのである。