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邪馬台国

邪馬台国の地、皆既日食で決着か 岩屋戸神話から推論」(朝日新聞)
 → http://www.asahi.com/science/update/0328/TKY201003270428.html

 邪馬台国があったのは畿内か九州か、天文学の立場から論争に決着をつけられないかと、国立天文台の2人の学者が挑んでいる。

 邪馬台国は3世紀ごろ、あったとされ、クニの始まりは1世紀ごろという説がある。手がかりとして、国立天文台の谷川清隆特別客員研究員と相馬充助教が2年かけて調べたのは、その間の1〜3世紀に日本付近であった皆既日食の通り道だ。

 皆既日食が見られる皆既帯の場所は限られる。邪馬台国で皆既日食が見えたのではないかという推論をもとにした。

 推論の根拠は日本書紀だ。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸(いわやと)に隠れ、辺りが闇に包まれたという神話が描かれている。記述が具体的であることから、この描写は皆既日食を指しているという解釈がある。天照大神は卑弥呼だったのではないかとの説もあり、岩屋戸神話は邪馬台国など文明地で実際に見られた皆既日食に基づいているのではないか、と推論した。

 1〜3世紀には53年、158年、247年、248年の4回の皆既日食があったことが計算上わかっている。

 問題となったのは、地球の自転だった。月の引力などの影響を受け、地球が1回転する時間は少しずつ長くなっている。このため、約2千年前に起きた日食の場所をシミュレーションするには、時刻の補正が必要だった。

 2人は朝鮮の歴史書「三国遺事(さんごくいじ)」に出てくる「新羅(しらぎ)地方で太陽の光が消えた」との記述に着目、これが新羅で見えた158年の日食と特定した。そこから導いた補正の幅から、248年の皆既帯は東北地方、247年の日食は日本では日没後で、畿内、九州いずれも皆既日食が見られなかったことがわかった。

 158年の日食は、朝鮮半島から山口、愛媛で日没直前の午後7時すぎに20秒ほど皆既になったが、これも畿内、九州は外れていた。

 53年の皆既日食は西日本を通っていた。午前11時すぎに30秒ほど皆既になっていた。時代が古いぶん、補正の誤差を絞りきれなかったが、誤差の範囲に畿内も九州も含まれていた。

 谷川さんは「誤差を縮められれば、皆既帯を絞れる。それを導き出せるような、この時期の天文現象を記した文献が世界のどこかに残っていないか、探したい」と話している。


邪馬台国 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD