NAKAMOTO PERSONAL

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「かわいそう」と魚を食べられない子供が増加…

「『「かわいそう」と魚を食べられない子供が増加…「それは動物愛護とは違う」と諭す教育も大切』…愛媛新聞」(痛いニュース)
 → http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1312491.html

 食卓に上がったお魚の目がかわいそうで、食べられない子どもが増えているという。「これは恐ろしいことです」と、青木淳横浜国立大学名誉教授は嘆く。
 食習慣を大まかに形成するのは幼少期からの経験だ。経験の歪曲(わいきょく)と欠如は、食への偏見、無知を生む。その結果が人の命さえ奪うことだってある。青木氏は講演で、ある青年の例を引いた。
 まじめで従順な幼少時代。内向的な性格だが、学校では成績優秀。中産階級の家庭で不自由なく育った。
 その青年がある日、命について考えた。動物には命がある。自分はこれまで、動物の命を食べ、奪ってきた。なんて醜い人間なんだ。
 彼は肉を食べなくなった。それはそれでよし。食を考える大切な行為。彼は、魚と野菜中心の食生活を始めた。
 その後、また気付いた。魚にも命があることに。ああ、自分はひどいことをしていたんだ。以降、彼は魚も一切、口にしなくなった。
 菜食主義者になった青年。悲劇は、その先にあった。
 ついに彼は、最終的な「結論」に達してしまう。植物にも命がある。がくぜんとする青年。自分はどれほどの命を奪ってきたのか。
 引きこもり、一切の食物を拒否。両親が説得しても、頑として摂食しない。
 そしてついに…。精神的に不安定になった彼は、両親の命を奪ってしまう。
 実際の事件だそうだ。抱え込んでしまった命の意味、絶食までの苦悩。少しずつ歯車が狂っていった。
 次はある小学校の話。教師がニワトリをひなから飼いはじめた。児童とともに懸命に世話し、親鳥になったらみんなで肉を食べましょう。
 命を学習する試みだ。しかし父母からの異議で、中止されたという。残酷だから。
 わたしたち人間は哺(ほ)乳(にゅう)類。養分摂取が不可欠だ。養分とは他の命にほかならない。
 肉は店頭に並ぶ。切り身になった魚。でも、そこに生の命はない。分業時代になり、直接命を奪わなくてもタンパク質が入手できる。
 いま、生活から「生き死に」の体験が消えつつある。庭にニワトリはいない。昆虫採集をする子どもも減った。命を考える機会の減少。そんな複合要素が、先の事件を生んだとはいえないだろうか。
 動物愛護週間。愛犬や愛鳥の精神は大事にしたい。同時に、わたしたちの命を維持してくれるのも彼らの仲間。
 魚の目がかわいそうと思う子どもの気持ち。でもそれは動物愛護とは違うんだよ。優しく諭す教育も、大切だ。
 命をいただく行為だから「いただきます」。命あっての命。その意味を、家族みんなで考えたい。
 http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200909242428.html

現代人は生き抜く力を失っているのかも知れない。


そんな現代人にオススメなのがこの番組。
『Discovery Channel | 特集 サバイバルゲーム』 http://japan.discovery.com/manvswild/
『Man vs. Wild : Bear Grylls』 http://dsc.discovery.com/fansites/manvswild/manvswild.html


『MAN vs WILD - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/MAN_vs_WILD


金があれば食べ物の好き嫌いも言えるような世の中が本当の世界なのだろうか。
食べる物を選べるような世界がエコなのだろうか。
本当の世界を生き抜くには、魚をさばき鳥を絞めるような教育も必要ではなかろうか。
暑さ寒さに耐え自分で寝床を探し野宿するような訓練も必要なのではなかろうか。