末人たち
「『幸福の科学』が衆院選で候補擁立目指す 25日に記者会見」(産經新聞)
→ http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090520/stt0905202027013-n1.htm
宗教法人「幸福の科学」(東京、大川隆法総裁)は20日、次期衆院選への候補者擁立を目指して政治団体「幸福実現党」を設立することを決め、25日に都内で記者会見すると発表した。
会見では主要政策や候補者公募などについて説明する。大川氏は団体幹部には就任せず、会見にも出席しない予定。
“「幸福になりたい」症候群”。
幸福だけの人生なんて何の面白みも無い。
不幸あっての幸福である。
影があっての光である。
この辺をわかっちゃいない。
彼らもまた、幸福を発明した“末人”(おしまいの人間)たちである。
見よ。私は君たちにそういう人間、末人を見せてやろう。
《愛とは何か? 創造とは何か? 憧れとは何か? 星とは何か?》──末人はそう尋ねて、まばたきする。
そのとき地球は小さくなっている。小さな地球の上に、すべてを小さくする末人がぴょんぴょん飛び跳ねている。この種族は蚤のように根絶しがたい。末人はもっとも永く生き延びる。
《われわれは幸福を発明した》──末人たちはそう言って、まばたきする。
彼らは暮していくのに厳しい土地を見捨てた。なぜなら暮していくには温みが必要だからである。そのうえ隣人を愛して、隣人に体をこすりつける。温みが必要だからである。
病気になることと不信を抱くこととは、彼らにとっては罪である。彼らは歩き方にも用心深い。石に躓く者、あるいは人に躓く者は愚者とされる!
ときどき少量の毒を用いる。それは快い夢を見させてくれるからである。そして最後に大量の毒を用い、快き死に至る。
彼らもやはり働く。働くことは慰みになるからだ。しかしこの慰みが身を損ねるこねることがないように気をつける。
彼らはもはや貧しくなることも、富むことない。どちらも煩わしすぎるのだ。誰ももう統治しようとしない。誰ももう服従しようとしない。どちらも煩わしすぎるのだ。
牧人は存在しない。存在するのはただ一つの畜群だけである! 誰でもみな平等を欲し、誰でもみな平等である。それに同調できない者は、すすんで気違い病院に入る。
《昔は世の中全部が狂っていたのだ》──そう洗練された人士は語り、まばたきする。
彼らは怜悧であり、世に起こったいっさいについて知識をもっている。だから彼らの嘲笑の種子はつきない。彼らもやはり争いはする。しかしすぐに和解する。さもなければ、胃をそこなうことになるからだ。
彼らはささやかな昼の快楽、ささやかな夜の快楽をもっている。だが健康をなによりも重んじる。
《われわれは幸福を発明した》──末人たちはそう言って、まばたきする──
ツァラトゥストラは、かく語りき。
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- 人はなんでも平和を愛すればいいと思うなら大間違い、平和、平静、平安、私は然し、そんなものは好きではない。不安、苦しみ、悲しみ、そういうものの方が私は好きだ。
- 悲しみ、苦しみは人生の花だ。
- 苦しめ、そして苦しむのだ。それが人間の当然の生活なのだから。
- 人間の尊さは、自分を苦しめるところにあるのさ。満足はだれでも好むよ。けだものでもね。
- 私は善人は嫌いだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあいで世を渡り、真実自我を見つめるという苦悩も孤独もないからである
- 真理が地上に実在し、真理が地上に行われる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間は人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。
- 人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを恐れたもうな。
安吾、かく語りき。