人生の勝者

　世の中で成功は難しい、しかも成功の程度を計るに金を以てする人あり、身代がよくなると成功だ、金持ちの家に嫁（か）すると立身したというし、男子でも月給が上がればおめでとうという。これは成功を金で計る、即ち勝つことは金をもつことだ。しかし金でなくても位で成功を計る人あり、人生の勝敗を位や勲章で計るのである。また中には智識で計る人あり、即ち学位で計る、以上が世の中の標準だ。
　しかしながら勝つことは意志が通ることだ。「したい」と思う意志、己（おの）が我（が）の通す者が真に勝つのである、ところが我とか意志とかは誤解し易い。勝利者は我利我欲でなく、己が意志と天の意志と相合し、我も天も区別なくなり、いわゆる小我と大我と一致した我をいう。己の欲するところ（自分の希望）に従って決して則を超えず、かかる意志が通った人が真に勝った人だ。かく考えると人生の勝敗を定める普通の標準は不正解だ、あてにならぬ。世の中で勝つ人が負け、負けた人が勝つ場合多し。かの韓信の如きその例である。股を潜（くぐ）った時は他から見れば確かに敗北者だが、彼の心中には己が勝ったぞとの自覚があったろう、何となれば彼の行為は彼の意志を貫く方法であったからだ。故に昔の狂歌にある如く「まけてかつ、智者の力の強さには誰も、かんしん、彼もかんしん」と腕力で負けても智者は力で勝った。

─―　新渡戸稲造（『新渡戸稲造論集』）

昭和8年（1933）10月15日　新渡戸稲造　没。

『新渡戸稲造 - Wikipedia』　http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0
『新渡戸稲造及び内村鑑三の門下生 - Wikipedia』　http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%86%85%E6%9D%91%E9%91%91%E4%B8%89%E3%81%AE%E9%96%80%E4%B8%8B%E7%94%9F

新渡戸稲造論集 (岩波文庫)