“礼”に就いて
『産経抄』より。
ボクシングの亀田3兄弟とその父親の「ワル」ぶりには「定評」がある。もっともそれは、話題になるためのマスコミ向けパフォーマンスかもしれないという気がしていた。だが一昨日の大毅選手の試合をテレビで見て「筋金入り」のように思えてきた。
▼相手のチャンピオン、内藤大助選手を「ゴキブリ」とののしったうえ、反則を連発、最後は内藤選手をかつぎ上げて投げてしまった。最近ボクシングのルールが変わったのかと思ったほどだ。結果的には33歳のチャンピオンの人気を高めただけで終わった。
▼この試合についてサンケイスポーツ評論家の矢尾板貞雄さんが同紙に書いた一文が的を射ていた。「何が何でも倒せばいい、という考え方では結局勝つこともできない」と大毅選手に忠告する。「ボクサーの品格」をしっかり認識してから再起してほしいとも述べておられた。
▼矢尾板さんは元東洋フライ級チャンピオンである。それだけにこの言葉には重みがあるが、「勝てばいい」で「品格」を失いつつあるのはボクシングだけではない。日本伝統の柔道や相撲の世界も「国際化」とともに急速にこの傾向が強まっている。
▼柔道では相手に襟や袖を持たせず、足などを取るレスリング型が横行している。しっかり組んで技をかける日本の柔道はもはや風前の灯火(ともしび)のように見える。相撲の方も、礼儀が失われたうえに取組も跳んだりはねたりという「品格」とはほど遠い土俵になってしまった。
▼勝ち負けよりも品格や型を重んじてきたのが日本の武道である。ボクシングのような外来のスポーツでも日本人である以上、それを軽視していいわけがない。むろん政治家や経営者、それに一人一人の生き方にも必要なのは言うまでもない。
彼らは“礼”に欠け“品”が無い。
以下、『武士道』より。
外国人旅行者は誰でも、日本人の礼儀正しさと品性のよいことに気づいている。品性のよさをそこないたくない、という心配をもとに礼が実施されるとすれば、それは貧弱な徳行である。だが礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。
それは物事の道理を当然のこととして尊重するということである。
したがってそれは社会的な地位を当然のこととして尊重するということを含んでいる。だが、それは金銭上の地位の差を表しているのではない。それは本来、実生活上の利点に対する差を表している。
礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。私たちは敬虔な気持ちをもって、礼は「長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思いあがらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまない」ものであるといえる。ディーン教授*1は人間の性情について六つの要素を述べているが、その中で礼が社会上のもっとも成熟した果実として、高い地位を与えられているのはむしろ当然であろう。
そして、何度も書いているが何度も書く。
会津の子供達には掟があった。「什の掟」である。
「什の掟」
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ
三、うそを言うてはなりませぬ
四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五、弱い者をいじめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。
「嘘をつかない」、「卑怯な振る舞いをしない」、「弱い者をいじめない」。白虎隊の少年らは最期までこの掟を守った。
そして「ならぬことはならぬものです。」
ダメなものはダメだという、理屈を捏ね回すことを善しとしなかった会津の気風が伝わる。
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