NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

昭和の日

『昭和の日』  「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」



北海道新聞の、いつも通りのいやらしい文章。


「昭和の日」(北海道新聞
 → http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/23363.html?_nva=1

 国民の祝日は年に十五日ある。あまり意識されないが、半分以上が実は皇室の祭祀(さいし)などにちなむ戦前の国家祭日の名残を引きずっている
 建国記念の日神武天皇の即位の日とされた紀元節、春分、秋分の日は皇室祖先の神霊を祭る春季、秋季皇霊祭、文化の日は明治天皇の誕生日である明治節、勤労感謝の日は天皇の稲作儀礼の新嘗祭(にいなめさい)だった
 祭政一致の国家主義の時代から、戦後の主権在民政教分離の時代に変わり、占領下に形の上ではその趣旨と名称が改められたが、休日そのものは巧みに引き継がれた。ある世代以上では、かつての「旗日」の記憶とつながっている
 きょう昭和の日も、一九八九年に没した昭和天皇の誕生日だ。二○○五年の改正祝日法で、みどりの日から変わり、ことしからの施行だが忘れていた人も多いのではないか。みどりの日は五月四日になった
 昭和の日制定運動を熱心に進めてきた人たちは、この日を昭和天皇をしのぶ日にしたいようだ。衣替えした推進団体が、さきに東京で開いたシンポジウムでは「占領政策の是正措置の一つが昭和の日」と制定意義が強調されたという
 この国の首相と同じように、戦後体制は間違っていたと言いたいらしい。もちろん、一般には単なる休日の一つとしてしか意識されないかもしれない。逆に、昭和という戦争の時代を記憶にとどめる日とすることも可能だが。

  • 「休日そのものは巧みに引き継がれた。」
  • 「昭和の日制定運動を熱心に進めてきた人たちは、この日を昭和天皇をしのぶ日にしたいようだ。」
  • 「この国の首相と同じように、戦後体制は間違っていたと言いたいらしい。」
  • 「昭和という戦争の時代を記憶にとどめる日とすることも可能だが。」

 新聞はあくまで事実の報道という形で、国民を一定の方向に追いやることができますが、さらにその限度を超えて、最初から「世論はこうだ、こうだ」と国民の頭上におっかぶせていくとなると問題です。ことに一般の国民は難解拙劣な政治記事を読まずに、見出しや煽情的な社会面を読みがちですから、そういう工作は易々たるものです。もちろん、国民の大部分は動かされはしませんでした。

─― 福田恆存『輿論を強ひる新聞』


『昭和の日 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E6%97%A5
『昭和の日 オフィシャルサイト』 http://www.429jp.info/



一方、産経、読売は肯定的。

「【主張】昭和の日 意義をかみしめ祝いたい 」(産経新聞)
 → http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070429/shc070429000.htm

 初めての「昭和の日」を迎えた。昨年までこの日は「みどりの日」(今年から5月4日)だった。それだけにとまどいもあるかもしれないが、その重要な意義をかみしめながら祝いたい。

 言うまでもないが、4月29日は昭和の「天皇誕生日」だった。昭和天皇が崩御された後、この日を祝日として残すため、緊急避難的に「みどりの日」とされた。

 しかしその直後から、激動に明け暮れた「昭和」という時代や昭和天皇を偲(しの)ぶため「昭和の日」とすべきだという声が起き、国民運動にまでなった。政局の混乱などで遅れたものの、一昨年ようやく、改正祝日法が成立したという経緯がある。

 「昭和」は、足かけ64年に及ぶ長い時代だった。単に長かっただけではない。日本が未曾有の大戦を経験し、敗戦から奇跡的な復興を果たし、驚異とされる経済成長をなしとげたのも、この「昭和」という時代だった。そしてそんな時代に、国民と苦楽をともにされたのが昭和天皇であった。

 だが、平成になってすでに20年近くがたった。そうした「激動」を身をもって経験した人も徐々に少なくなり、記憶も薄れつつある。また「昭和」という時代を知らない若い世代も増えてきている。

 そうでなくとも、日本人の場合、古代や戦国時代、明治維新などの歴史への関心は強いが、近代、特に昭和前半の歴史は避けて通ることが多い。戦前を「暗黒の時代」「軍国主義の時代」として片づける歴史観があまりに根強かったからである。

 そのことが、日本人に自国の歴史に対する愛着や誇りを失わせる結果につながったといえる。経済大国にもかかわらず、自信を失ったかのような外交姿勢や教育の荒廃などにも影を落としていることは間違いない。

 「昭和の日」には、直近である昭和の歴史を虚心坦懐(たんかい)に見つめ直すことで将来に向け、国民が誇りと自信を取り返すことができるようにとの願いが込められているのである。

 ゴールデンウイークの中、行楽や旅行の合間にでもいい、家族で、あるいは友人同士で「昭和」がどういう時代であったのか、日本の将来がどうあるべきか、話し合ってみたい。


「昭和の日 激動の時代に思いを寄せたい」(読売新聞)
 → http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070428ig91.htm

 きょうは「昭和の日」。かつて、昭和の時代には、「天皇誕生日」だったことを、久々に思い起こす人も多いだろう。

 平成に入り、昨年まで4月29日は「みどりの日」だった。

 2年前に祝日法が改正され、「昭和の日」が制定された。カレンダーの作製に混乱が生じないよう、1年間の準備期間を置いて、今年施行された。「みどりの日」は、5月4日に移された。

 改正祝日法は、「昭和の日」を、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と位置づけている。

 昭和戦争、終戦、戦後復興、高度経済成長……。今日の礎となった時代について、家族で語り合うのもいいだろう。

 この日の歴史的意義を踏まえれば、もともと「昭和の日」とすることが、理にかなっていたはずだ。

 昭和天皇が亡くなった当時から、「昭和の日」制定を望む議論はあった。

 「みどりの日」になったのは、野党から「昭和の日」に対して反対意見が出ることを、政府が懸念したためだった。

 その後、「昭和の日」制定を望む国民運動が起こった。2000年には与党から祝日法改正案が提案された。

 しかし、左翼勢力は、天皇の戦争責任を取りざたし、昭和の時代の評価は定まらない、と反対した。

 法案は2度にわたり廃案になった。最終的に民主党が賛成に回り、ようやく成立した経緯がある。

 昭和元年生まれの人は、いま80歳、昭和生まれの最後の世代は、今春、高校を卒業した。まさに「昭和は遠くなりにけり」である。

 折しも、近年は「昭和レトロ」がブームになっている。

 1958年(昭和33年)の東京下町を舞台に、当時の暮らしと人間模様を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」が2年前に大ヒットした。今秋、続編も封切られる。

 古い街並みを再現した「昭和の町」づくりも、大分県豊後高田市や東京都青梅市など全国各地に見られる。

 こうしたブームの背景には、貧しくとも人々が助け合い、希望を持って生きていた時代への共感もあるのだろう。

 東京都八王子市にある昭和天皇の武蔵野陵近くの公園できょう、国会議員や民間団体による実行委員会主催の記念式典が開催される。一般から募集して選ばれた「昭和のヒーロー」も発表される。

 昭和という時代の重みを踏まえ、その歴史的意味を、次の世代に伝える日としていきたい。