『自分をまげない勇気と信念のことば』
曾野綾子さんの『自分をまげない勇気と信念のことば』より。
人間は自分を棚にあげないと何も言えない、というのはほんとうにおもしろことである。反省の多い人は多分、寡黙になる。寡黙は快く静寂を助けるが、反面、何を考えているかわからない不安を人に与えることもある。
気がついてみると木々も鳥たちも海も、決して寡黙ではない。しかしやかましくもない。
私たちは自分の喋るべき言葉を失う癖がついた。すべて保身のためである。無難なのは、大多数の人が思うことをオウムのように言うことなのだ。或はあたかも自分がそう思っているかのように、人の意見を代弁することなのだ。
私は五十年に近い作家生活の中で、ああこの人は自分を失っていないし、勇気があるなあ、と思った人は、たった三、四人に過ぎない。その人たちは、信念を持って「世間を向こうに廻して闘う」ことを静かに覚悟していた。しかし彼らには共通していたのは、狂信的ではなかったこと、破壊的でもなかったこと、その誰にもユーモアがあったことだった。
他の人たちは、顔のない人たちだった。「それは今できないことになっています」とか「会社ではそれが許されていませんので」という言い方をした。「あなたご自身はどう思われるのですか」と尋ねても、それに対する答えはなかった。私はその度に興ざめな思いをした。
ここに集めてもらった方々は、もちろん私の「たわごと」に過ぎないのだが、その中に、損も危険も覚悟で、自分を持し、自分を失わず、最後まで自分を売らなかった人たちへの讃歌が、確実に込められているような気がする。
他人の価値観を鵜呑みにして、どうしておもしろい人生を送れるだろう。また人と同じようなことを言っていて、どうして他人の尊敬を得ることができるだろう。
私は人生の快楽の第一のものは、他人を尊敬できることだ、とこのごろ思うようになった。尊敬は必ず、明確な人格に対するものだ。だから自己の希薄な人には、尊敬も魅力も持ちようがない。しかし少々、どころが、かなり型破りな人でも、その人らしければ、私は「この世でお会いできて光栄でした」とお礼を言いに行きたくなるのである。
─― 曾野綾子(『まえがき』)
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