NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

高くする者・低くする者

「ユダは裏切り者じゃない?『ユダの福音書』写本と確認」(朝日新聞)
 → http://www.asahi.com/international/update/0407/006.html

 エジプトで70年代に発見され古美術商の手にあったパピルス紙の束が、専門家らによる修復鑑定作業の結果、初期キリスト教の幻の外典「ユダの福音書」の約1700年前の写本だと確認された。聖書ではイエス処刑への道を開いた「裏切り者」として描かれる「イスカリオテのユダ」が、実は、イエス本人の命令に従い「救済」を完成させるために引き渡した「善行の人」だったと主張する内容で、議論を呼びそうだ。

「ユダは忠義者?:ユダの福音書の内容を米の協会が発表」(毎日新聞)
 → http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060408k0000m030064000c.html


ぼくはキリスト教徒ではないが、これは興味深い。


裏切り者の代名詞とまでされてきた“イスカリオテのユダ”。
実は善行の人であった。
ユダはキリストのために裏切り者の汚名を被り続けてきたことになる。


聖書にはパリサイ人の寓話がある。
自分の善行を主張し、祈るパリサイ人と、罪人であることを認める取税人。


ユダを悪の権化、裏切り者と信じてきた我々は、パリサイ人になってはいないか。

 ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受け取るものはみな、その十分の一をささげております。」
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。

─― 『ルカ伝18・10〜14』


日本では、親鸞聖人(唯円)も言っている。
いわゆる“悪人正機”である。
google:歎異抄
google:悪人正機

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

(善人ですら救われるのに、悪人が救われない訳がない)

『ナショナル ジオグラフィック 日本版』 http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/
『歴史を覆す世紀の大発見 「ユダの福音書」が明かすイエス・キリストの最後の言葉』(nikkeibp.jp) http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/tanoshimu/nng_060407html



だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ。

─― スナフキン『ムーミン谷の名言集』