喫茶去
天正19年(1591)の今日は、千利休が亡くなった日だそうです。
そんな訳で、今日偶然見つけたことば。
いわゆるシンクロニシティ(共時性)。 「偶然は必然である。」byなかもと
『喫茶去』(きっさこ)
よくいらっしゃいました。まずはお茶でも召し上がれ。
日常のあたりまえの光景ですが、お茶を差し出すことほど、私たちの心を写し出すものはありません。あなたは嫌いな人が来ても、お茶を召し上がれと言えますか。
到着したとたんあわてて言い訳をしようとする人に、ご苦労さん、まずは一杯、と相手の呼吸を整えてあげることを考えますか。よく来たね、という気持ちも一杯のお茶が表し、寒かったろう、というねぎらの気持ちも一杯のお茶が表します。
「喫茶去」とは、お茶を召し上がれ、というただそれだけの言葉。抹茶を立てても番茶でも、理屈抜きに一杯を差し出すことこそ禅の心に通じます。儀式でもなく、健康や喉の乾きのためともこだわらず、ただ、「さあ、お茶をどうぞ」。
─― 渡會正純(『ほっとする禅語70』)
google:喫茶去
google:千利休
大切なのは、心の“ゆとり”。
茶の湯とは ただ湯をわかし 茶を立てて 飲むばかりなる 本をしるべし (利休)
- 作者: 岡倉天心,桶谷秀昭
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