NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

親と子

「理想は『必要なときにしかる父親』…読売世論調査」(読売新聞)
 → http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051204it13.htm

 父親の子育てについて、「しつけができていない」と厳しく見る人が77%を占めたほか、理想の父親像として、「必要なときにしかる」父親が74%とトップになるなど、国民の多くが、「厳しい」父親を求めていることがわかった。

 理想的な父親像では、「必要なときにしかる」に続き、「生き方や人生観を語れる」(54%)、「仕事に一生懸命取り組む」(52%)、「威厳を持っている」(49%)が上位を占めた。「子供と友達のように接する」(13%)など、子供と対等な関係を求める意見は少数だった。

 また、「父親が雷おやじだった」という人は全体では39%。父親を尊敬しているかどうかの関係で見ると、雷おやじほど尊敬している割合が高かった。


行き過ぎた“ゆとり教育”、“平等教育”、“ジェンダー教育”からの反省であろう。


近頃は頑固爺さんも見かけない。
子供の顔色をうかがう媚びた大人ばかり。



夏彦翁、かく語りき。(『何用あって月世界へ』より)

 世の中には自分で経験しなければ会得できないことが山ほどある。親はすでにそれを経験しているから、子を危ぶんで一々指図したがる。気の利いた子供なら親の言うことなんか聞かないからいいが、唯々諾々と聞くようだと子供はいつまでも一人前はなれない。親がじゃまして子に経験させないからである。

 親は子の口まねしないことをすすめる。これだけで日本語は改まる。親というものは、子供がこの世で出会う最初の教師である。箸の上げ下ろしから、基礎的な言葉まで、子が親のまねをするのが順序である。

 子供は大人がみくびるほど鈍くない。彼らは大人が何を欲するか知っている。

 私たちがその風貌に威信を失ったのは伝統と無縁になったからである。もう一つ分業のせいである。古人はみな多くを兼ねた。文事ある者は必ず武備あり、文武両道といって武事しかしないものは一介の武弁といってあなどられた。