NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

愛国心

筑紫哲也 NEWS23」でこんな特集をやっている。

『シリーズ・ニッポン人 日本人の愛国心』 http://www.tbs.co.jp/news23/tokusyu.html

非・愛国から見た愛国心の物語。
中国や韓国の愛国心も取材して欲しい。


では、愛国心とは。
福田恆存は言います。

 物の中にはそれを造った人の心、それを所有し、使用している人の心が生きている。たとえば、親にとっての死児の遺品は決して単なる物とは言えない。自分の子供が愛玩していたおもちゃは、遺された親にとって、子供の心と自分の心とがそこで出会う場所であり、通い路なのであり、随(したが)って、それは心の棲家(すみか)なのであります。自分自身の所有品についても、自分が長年の間使って来た、つまり付き合って来た品物は事のほか愛着を覚え、吾々はそれを単なる物として見過ごす事は出来ないのです。消しゴムや小刀の様な些末(さまつ)なものですら、そしてそれがもう使うに堪えなくなったものでも、むげに捨て去る気にはなかなか成れないものです。この「こだわり」を「けち」と混同してはなりません。それはその物の中に籠(こ)められている自分の過去の生活を惜しむ気持ちであって、吾々はその物を捨てる事によって自分の肉体の一分が傷付けられ切り落とされる痛みを感じるのであります。
 ましてその物が、自分が生まれた時から暮して来た家、子供の頃に登った柿の木、周囲の山や川、そういうものともなれば、なおさら強い愛着を感じ、自分の肉体の一部どころか、時にはそれが自分の命そのものに等しい感じを懐くのであって、それを私達は「命よりも大事な」とか「命の次に大切な」という言葉で表現しているのです。そうした自然、風物、建物に対する愛情が愛郷心、愛国心の根幹を成すものではないでしょうか。

─― 福田恆存『物を惜しむ心』



また、福沢諭吉は自著『瘠我慢の説』で、滅びゆく幕府を両親に例え、それを見捨てた勝海舟榎本武揚を徹底批判します。

諭吉の愛国心である。痩せ我慢の説である。

 「廃滅の数すでに明(あきらか)なりといえども、なお万一の僥倖を期して屈することを為さず、実際に力尽きて然る後にたおるるはこれまた人情の然らしむるところにして、その趣を喩えていえば、父母の大病に回復の望みなしとは知りながらも、実際の臨終に至るまで医薬の手当てを怠らざるがごとし。これも哲学流にていえば、等しく死する病人なれば、望みなく回復を謀るがためにいたずらに苦病を長くするよりも、モルヒネなど与えて臨終を安楽にするこそ智なるがごとくなれども、子と為りて考うれば、億万中の一を僥倖しても、故(ことさら)に父母の死を促すがごときは、情において忍びざるところなり。」

 「左(さ)れば自国の衰頽(すいたい)に際し、敵に対して固(もと)より勝算なき場合にても、千苦万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝敗の極に至りて始めて和を講ずるか、もしくは死を決するは立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称すべきものなり。すなわち俗にいう瘠我慢なれども、強弱相対していやしくも弱者の地位を保つものは、単(ひとえ)にこの瘠我慢に依(よ)らざるはなし。ただに戦争の勝敗のみに限らず、平生の国交際においても瘠我慢の一義は決してこれを忘るべからず。」

 「そもそも維新の事は帝室の名義ありといえども、その実は二、三の強藩が徳川に敵したるものより外ならず。この時に当りて徳川家の一類に三河武士の旧風あらんには、伏見の敗余江戸に帰るもさらに佐幕の諸藩に令して再挙を謀り、再三挙ついに成らざれば退いて江戸城を守り、たとい一日にても家の運命を長くしてなお万一を僥倖し、いよいよ策竭(つく)るに至りて城を枕に討死するのみ。すなわち前にいえるごとく、父母の大病に一日の長命を祈るものに異ならず。かくありてこそ瘠我慢の主義も全きものというべけれ。」

http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20041212

明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説 (講談社学術文庫 (675))

明治十年 丁丑公論・瘠我慢の説 (講談社学術文庫 (675))