選挙
今日は選挙に行ってきた。
期日前投票。
『期日前投票』 http://www.soumu.go.jp/senkyo/050911_senkyo/toujitsu.html
『明るい選挙推進協会』 http://www.akaruisenkyo.or.jp/
『衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査』 http://www.soumu.go.jp/senkyo/050911_senkyo/index.html
しかし、、、
「投票に行こう!」というCMやマスコミの合唱には違和感がある。
言うまでもなく、選挙権、投票は国民の意思表明である。しかしその表明する意志が無ければ投票は意味を為さない。むしろ意志も無く投票することは害悪でさえある。
投票すべき候補者・政党が見つからなければ白紙投票もひとつの意思表明なのであろう。
それならば、棄権、選挙に行かないという選択も、関心が無いという意味で、一つの意思表明であるように思う。
投票率を上げたいのであれば、単に投票を煽るのではなく、日頃から政治に関心を持つような方向に持って行くべきである。
投票率を上げるための投票では、本末転倒である。
男も女と同じくその過半数は政治的関心がない。げんに私にはない。ギリシャ人は税金を納めて一旦緩急あったとき武器をとって国を守る意志と能力のある壮丁にしか選挙権を与えなかったという。
民主主義政治の原理は、自分が独裁者になりたくないという心理に基づいているのではなく、他人を独裁者にしたくないという心理に基づいているのである。一口に言えば、その根本には他人に対する軽蔑と不信と警戒心とがある。
そうと気づいてもらえば、「正義の主張は犯罪と心得べし」という私の忠告は極く素直に受け入れられるだろう。愛の陰には色情があり、正義の陰には利己心がある。反省の篩(ふるい)にかければ、愛や正義の名に値するものはめったにないことになる。それがどういうわけか、今日の日本では、民主主義だけが篩(ふるい)の目を逃れ、ほとんど唯一の禁忌(タブー)にまで昇格してしまっている。敵も味方もそれを旗印にする。民主主義の名の下に暴力を犯し、あるいは暴力を犯してそれを肯定するために民主主義を口実にする。そうかと思うと、暴力は民主主義ではない、それに反するものだと言い、民主主義をもってそれを説伏(しゃくふく)しようとする。民主主義とはそれほど便利なものか。