NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

坂口安吾による織田作之助追悼文

明日は安吾忌。


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織田の死

坂口安吾

先日織田と太宰と僕との座談会があつて、織田が二時間遅れてきたので、太宰と僕は酒を飲みすぎて座談会の始めから前後不覚という奇妙なことになつたが、この速記を編集者が持つてきた。織田と太宰はすでに速記に手を入れていた。

読んでみると、織田の手の入れ方が奇妙である。座談会の手入れというものは、言い足りなかつた意味を補足するのが通例だろうが、織田はそういう手の入れ方もしているけれども、全然喋(しゃべ)らない言葉、つまり三味の合いの手のような文句を書き入れている。実際には喋らなかつた言葉であり、あつてもなくともよい言葉なのだが、それがあると、読者が面白がつたり、たのしんだりするに相違ない馬鹿馬鹿しい無意味な言葉だ。

それを書きたすことによつて彼が偉く見えるどころか、むしろ大いに馬鹿に見える。あべこべに他の二人が引立つような書き入れなのだ。尤(もっと)も逆に自分が引立つような書き入れもあるが、他より偉く見せるのが目的ではないので、要するに読者をたのしませてやろうというのが目的なのである。

こういう奇妙奇天烈な魂胆というものは、自ら戯作者を号する荷風先生などにも見当らぬ性質のもので、見上げた根性だと感心した。彼は書きすぎた犠牲者で、彼自身も身を入れて一つの作品に没入したいという意志をもらしていたのであり病気はむしろ良い時期だと思つていた。

あの徹底的な戯作者根性に肉体質の思想性というものが籠つたなら大成すべき稀有(けう)な才筆家で、その才筆は谷崎以来、そして、谷崎以上のものであつたが、才筆の片鱗(へんりん)を残したゞけで永眠したとは。

(十一日夕記)