西部邁
私は自分が一個のアナクロニストであることに誇りを感じてきた。時代錯誤者は、時代の流れに遅れるぶんだけ、その流れに批評的であることができる。そればかりか、未来とは、現在において構成されるイメージ、ヴィジョンそしてプランの総体のことなのだが、そうした未来展望がもし過去回帰にもとづいていないとしたら、それは単なる夢想である。
私には少々夢想癖があるので、夢想の快楽についても有効さについてもわきまえているつもりではある。しかし、ロゴス(論理)のみならずミュートス(物語)も、経験にもとづいていなければ、それを語っている自分自身をすら納得させることができない。とくに、複数の論理や神話が自分の心に浮かぶ場合、そのいずれに軍配を上げるかについては経験に問うてみなければならない。そしてそれを実際に問うものは、歴史を振り返る以上は、時代遅れにならざるをえないのである。
時代の流れに寄り添おうと躍起になっているものは、未来へ向けて前のめりになっている自分の姿を問おうとしていない。そういう人々にたいしてはどんなロゴスもミュートスも通じるわけがない。可能なのは、彼らが前傾姿勢で疾走し、そして折り重なって倒れるのをみていることだけである。未来へのアクション(活動、作用)にしか関心のないものたちがいかなる惨めな結末を迎えたかを半世紀に及んでみてきたら、過去へのリアクション(反動、反作用)のほうがはるかに魅力的ではなかろうか、と後生に警告を発したくなる。
私におけるような保守の構えを「変化への恐れ」とみるものがいるが、そういう御仁はすでに精神的に引っ繰り返っている。なぜといって、反動もまた未来における変化として生じるのだからである。未来にかんする健全な御伽話は、未来において過去が再現する、という筋書きでなければならない。たとえば、今から百年後に、高々度情報社会のただなかで、土方歳三が白刃をかざし、坂本龍馬が懐に短銃を抱いて活劇を演じるということだ。そうするのが、「復古=維新(リストレーション)」あるいは「再巡=革命(リヴォルーション)」を渇望するものとしての、真の変革者の務めである。
平成30年1月21日 西部邁 没
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