NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

THE FINAL

鬼平犯科帳 THE FINAL 後編『雲竜剣』」(フジテレビ)
 → http://www.fujitv.co.jp/onihei/sp-13.html

夜道を、長谷川平蔵中村吉右衛門)と木村忠吾(尾美としのり)が歩いていると、覆面をつけた刺客・石動虎太郎(いするぎ・とらたろう/尾上菊之助)が現れる。急襲に、剣の使い手である平蔵も追い詰められるが、間一髪のところで、一撃を浴びせ追い払う。以前にも、平蔵の部下である酒井祐助(勝野洋)らが刺客に次々と襲われ、小柳安五郎(谷口高史)に至っては命を落としていた。刺客と相対した平蔵は、刺客の構えが若いころに牛久で手合わせをした剣豪の構え「雲竜剣」と似ていることを思い出す。
平蔵が襲われた翌日、平蔵宅の門番が刺客に斬られ命を落とす。刺客の大胆な犯行に、苦渋の表情を浮かべる平蔵。さらに数日後、平蔵らの動揺に乗じるように、牛込の薬種屋「長崎屋」に凶賊が押し入り、16名が惨殺される事件が起こる。自分たちのことにかまけて、見回りが手薄になっていたことを悔やむ平蔵は、上司の京極備前守橋爪功)に、見回りの増員を頼み、犯人を捕まえることに執念を燃やす。密偵のおまさ(梶芽衣子)や五郎蔵(綿引勝彦)の働きで、牛久に行き場のない年寄りや貧しい人々が無料で泊まる「報謝宿」があり、それを元武家で医師の堀本伯道(田中泯)が営んでいることが分かる。伯道は「雲竜剣」の使い手で、盗賊でありながら、本気で人助けをしているとのこと。
その後、平蔵は謎の刺客・石動虎太郎をおびき寄せるため、あえて一人で市内を見回る。夜道で虎太郎と出会う平蔵。一触即発の状況下に、伯道が姿を現す。共に、「雲竜剣」の使い手である伯道と虎太郎は実の親子であった。若いころに、手合わせをしていた平蔵と伯道、そして父・伯道との間に深い葛藤があり、悪に手を染めることとなった虎太郎が一堂に会し、物語は衝撃的な結末を迎える。


「『鬼平犯科帳』ついに終幕。時を超え愛される名言20選『人間とは、妙な生きものよ...』」(The Huffington Post)
 → http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/01/onihei-goldenwords_n_13362646.html

 池波正太郎原作で、歌舞伎俳優の中村吉右衛門が主役を務める人気時代劇シリーズ「鬼平犯科帳」(フジテレビ系)が12月2日・3日のスペシャル番組をもって、惜しまれつつも28年の歴史に幕を下ろす。

 主人公は火付盗賊改方(火盗)の長官、長谷川平蔵。配下の密偵や武士とともに、一癖も二癖もある盗賊たちと渡り合う。単純な勧善懲悪ではなく、悪党でありながら人間味あふれるキャラクターの描写が魅力だ。悪党や配下からは「鬼の平蔵(鬼平)」と恐れられる。だが、そんな平蔵が紡ぐ人情味ある台詞や、人の心の中に同居する善と悪を看破する言葉にはファンも多い。番組に登場する江戸料理も人気だ。

 池波作品ならではの人情味や江戸の粋が感じられる、魅力あふれる「鬼平」の名言を紹介しよう。


■「人間というものは…」

  • 「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」(第2巻『谷中・いろは茶屋』)
  • 「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。こころをゆるし合うた友をだまして、そのこころを傷つけまいとする。(第8巻『明神の次郎吉』)
  • 「死ぬつもりか。それはいけない。どうしても死にたいのなら、一年後にしてごらん。一年も経てば、すべてが変わってくる。人間にとって時のながれほど強い味方はないものだ」(第2巻『妖怪葵小僧』)
  • 「人という生きものは、ふしぎなものよ」(第4巻『密通』)
  • 「人なみに善(よ)いことをして見たくなるのだ。悪事によって得た金で善事をおこなう。それが、いささか、胸の中がなぐさめられる。申せば悪党の虚栄(きょえい)なのだ」(第11巻『土蜘蛛の金五郎』)
  • 「人というものは、はじめから悪の道を知っているわけではない。何かの拍子で、小さな悪事を起こしてしまい、それを世間の目にふれさせぬため、また、つぎの悪事をする。そして、これを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んで行くものなのだ」(第13巻『殺しの波紋』)


鬼平犯科帳」フジテレビ公式サイト


■「人のこころの底には…」

  • 「人のこころの底には、なにが、ひそんでいるか、知れたものではないというのだ」(第4巻『夜鷹殺し』)
  • 「人の、こころの病気(やまい)というは、まことに、はかりきれぬわえ」(第4巻『夜鷹殺し』)
  • 「人のこころの奥底には、おのれでさえわからぬ魔物が棲(す)んでいるものだ」(第10巻『むかしなじみ』)
  • 「人の一生なぞというものは、まことに他愛のないものよ」(第6巻『狐火』)


■「男と女というものは…」

  • 「男には男のなすべきことが、日々にある。これを避けるわけにはまいらぬ……」(第9巻『本門寺暮雪』)
  • 「男という生き物は……ほんにまあ、いくつになっても……」「困ったものよ、なあ」(第5巻『山吹屋お勝』)
  • 「女という生きものには、過去もなく、さらに将来もなく、ただ一つ、現在のわが身あるのみ……ということを、おれたちは忘れていたようだな」(第1巻『本所桜屋敷』)
  • 「いやはや、人の勘ちがいというものは、万事こうしたものなのだ。ことに男と女の間なぞは、他人が見るとき、先ず大間ちがいをしていることが多いものさ」(第6巻『盗賊人相書』)


■「悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」

  • 「ばかも休み休みいえ、悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」 (第2巻『蛇の眼』)
  • 「浮浪の徒と口をきいたこともなく、酒ものみ合うたこともない上ツ方に何がわかろうものか。何事も小から大へひろがる。小を見捨てて大が成ろうか」(第14巻『殿さま栄五郎』)
  • 「相手が将軍家であろうとも、もと盗賊であろうとも、おれにとっては変わらぬことよ」 (第5巻『深川・千鳥橋』)
  • 「金と申すものは、おもしろいものよ。つぎからつぎへ、さまざまな人びとの手にわたりながら、善悪二様のはたらきをする」(第15巻『特別長編 雲竜剣』)
  • 「人のうわさというものの半分は嘘だ」(第9巻『狐雨』)


■「鬼平犯科帳」とは

 「鬼平犯科帳」は池波正太郎による日本の時代小説。1967年から池波が死去する1989年まで、文藝春秋社「オール讀物」に連載された。1993年からは、さいとう・たかをによって漫画化されている。

 「鬼平」が初めてドラマ化されたのは1969年。吉右衛門の実父、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)が長谷川平蔵を演じた。以降、丹波哲郎萬屋錦之介が演じ、吉右衛門は四代目の「鬼平」だ。吉右衛門が「鬼平」を演じることになったのは45歳。奇しくも小説の長谷川平蔵が火盗の長官に任命されたのと同い年だった。

 吉右衛門版は89年に放送が始まった。2001年に一度レギュラー放送が終了するも、05年から年数回のスペシャル版を制作してきたが、生前に池波が残した「原作にあるもの以外は制作してくれるな」という言葉、吉右衛門の体力面を考慮し、シリーズ終了が決まったという。

 長谷川平蔵吉右衛門にとって「当たり役」とされる。そんな長谷川平蔵がなぜ広く支持されるのか、吉右衛門はこう分析する。

まあ、なんていうのかなぁ、情というものと、剛、強さというものとを兼ね備えた人間といいますかね。それが武士とかなんとかというものを離れて、人間的に魅力があるように書かれておりますのでね。それを出すのが一苦労でございますね。

吉右衛門さん、鬼平を語る 「人間性、大事に演じた」:朝日新聞デジタルより 2016年11月25日15時16分)

 江戸から明治にかけての人々の暮らしぶりを巧みに描写する池波作品だが、リアリティーを追求するゆえテレビで再現するのは至難の技のようだ。吉右衛門もこう語る。

ただ、テレビの制作状況と云うものは時代劇の制作には必ずしも最良の環境とは言えず、池波作品を再現するのに苦慮しているのが現実です。
オール讀物」(2007年6月号)

池波先生の作品が、奇をてらっていなくて、江戸から明治にかけての人々の暮らしぶりを書いている。大正昭和、その辺の戦争でガラリと変わる前の時代。先生はお若い時にそういう世界を生きてこられた方だから、そういう人たちのどういう思いで生きていたのか、どういう生活をしていたのかというのはよくご存じで、映像でなるべく再現したいと。

吉右衛門さん、鬼平を語る 「人間性、大事に演じた」:朝日新聞デジタルより 2016年11月25日15時16分)

 「鬼平」シリーズは終了するが、不敵な笑みを浮かべながら縁側に横になりつつ渋扇を仰ぐ姿、「五鉄」でアツアツの軍鶏鍋を美味しそうにつつく姿…長谷川平蔵は、これからも私たちの心の中に生き続けることだろう。