NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

護憲派だもの

 言うまでもなく、最高価値としての平和は、それによって何らかの文化的価値を守るためのものではなく、他のあらゆるものに替えてもこれを守るべきものとなります。尤(もっと)も、この場合、「あらゆるものに替えても」は決して「命に替えても」というフレイズには繋がりません。なぜなら平和というのは生命保存の本能という言葉の代用語だからです。もともと自分たちには命に替えても守りたいもの、或は守るに値するものは何も無い事を教えられたからこそ、平和が最高価値になったのです。命に替えても守りたいもの、或は守るに値するものと言えば、それは各々の民族のうちにある固有の生き方であり、そこから生じた文化的価値でありましょう。その全部とは言わないまでも、その根幹を成すものをすべて不要のもの、乃至(ないし)は悪いものとして否定されれば、残るものは生物としての命しかありますまい。平和が最高価値と言うのは、生命が最高価値ということです。その意味でもエゴイズムとヒューマニズムとのすり替え、或は混同が生じております。

── 福田恆存日本への遺言


「沢地さん『命懸けで改憲反対を』 改正意欲の首相発言批判」(BLOGO)
 → http://blogos.com/article/159547/

 護憲派の市民団体「九条の会」は8日、東京都内で記者会見し、安倍晋三首相が憲法9条の改正に意欲を示していることに反発し「9条を守り抜くため、あらゆる努力を」と呼び掛ける緊急アピールを発表した。

 同会の呼び掛け人で作家の沢地久枝さんは「こんなに粗末な形で憲法を否定される日が来るとは思わなかった。いま命懸けで(改憲に)反対しなければ、日本はもう一度戦争する国になってしまう」と訴えた。

 首相は3日の衆院予算委員会で「7割の憲法学者自衛隊憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきだとの考え方もある」と発言している。

九条の会が緊急アピール文 安倍首相の改憲発言に抗議」(朝日新聞
 → http://www.asahi.com/articles/ASJ285T7SJ28UTIL03Y.html
九条の会、安倍首相に抗議する緊急アピールの全文」(朝日新聞
 → http://www.asahi.com/articles/ASJ285TG2J28UTIL03Z.html


憲法の為に命を懸ける矛盾。
平和の為に戦う矛盾。
護憲の為に憲法を犯す矛盾。

 断言しても良い、現行憲法が国民の上に定着する時代など永遠に来る筈はありません。第一に、「護憲派」を自称する人達が、現行憲法を信用してをらず、事実、守つてさへもゐない。大江(健三郎)氏は憶えてゐるでせう、座談会で私が、「あなたの護憲第九条の完全武装抛棄だけなく、憲法全体を擁護したいのか」と訊ねた時、氏は「然り」と答へた、続けて私が「では、あなたは天皇をあなた方の象徴と考へるか、さういふ風に行動するか」と反問したら、一寸考へ込んでから「さうは考へられない」と答へた。記録ではその部分が抜けてをりますが、私はさう記憶してをります。或いは氏が黙して答へなかつたので、それを否の意思表示と受取つたのか、いづれにせよ改めて問ひ直しても恐らく氏の良心は否と答へるに違ひ無い。が、それでは言葉の真の意味における護憲にはなりません。大江氏は憲法憲法なるが故に認めてゐるのではない。憲法の或る部分を認めてゐるのに過ぎず、また憲法を戦争と人権の防波堤として認めてゐるに過ぎないのです。
 勿論、あらゆる法は防波堤的性格を持つものであり、多くの憲法は権力者に対する防波堤としての役割を果たしてゐる事も否定し得ない。しかし、その防波堤は青年だけが利用し得るものでもなければ、特定の個人だけが利用し得るものでもありません。自由平等、権利義務と同様、自分を守つてくれる同じ法が自分の利害に反する「敵」をも守つてくれるのです。基本人権の擁護は被治者にも治者にも適用されるのです。その点、「護憲派」は大きな勘違ひをしてゐる。「年寄りくたばれ」どころか、「岸殺せ」と叫んでも基本人権を脅してゐるとは考へないらしい。議事進行妨害も「護憲」の名において「護憲派」が行つてゐる。それといふのも、「護憲派」にとつて現行憲法は単なる防波堤の役割を果たしてゐるばかりでなく、将来政権を取る為の前進基地として好都合な手段だからであり、事実、彼等はさう公言してをります。正に当用憲法であります。「改憲派」が違憲的言動に走るのはまだしも、「護憲派」がこの有様で、どうして憲法の権威が守れるでせうか。誰がそれを真の護憲運動と認めるでせうか。

── 福田恆存『平和論にたいする疑問』