“芽”でたい
産経抄より。
「【産経抄】めでたい人 1月5日」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/150105/clm1501050003-n1.html
作家の幸田文に「たねを播(ま)く」と題した随筆作品がある。森林を見て歩くのがなにより好きという、老人から聞いた話を書いている。あるとき北海道に大きな台風が通り、風道にあたっていた樹木はことごとく倒された。
2年後に現場を訪ねると、倒木の列のそばで、びっしりと並んだ針葉樹の若い芽立ちを見つけた。「人間の入らない場所では、自然が手際を見せるものですね」。文はこの言葉に、感銘を受ける。
「当然、人のいる場所なら人が手際を見せるわけになる」。つまり、「種を播かなければダメだ」と強く思ったという。安倍政権の最大の課題のひとつが、「地方創生」である。まず種を播かなくては、始まらない。もっとも、それだけでは足りない。芽立ちを促す、手際の見せどころである。
なぜ新年はめでたいのか。安政2(1855)年の元旦、獄中にあった吉田松陰は、こんな内容の年賀状を書いている。あて先は、2歳年下の妹、千代だった。きのうから始まったNHK大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン、文の姉にあたる。
松陰によれば、めでたいの「め」は目玉ではない。木の芽、草の芽のことだ。草木の芽は、冬至から一日一日、陽気が生ずるに従って萌(も)えいづる。つまり「めでたい」とは、草木が芽を出したいと願う、その気持ちを指すというのだ。
当時24歳の松陰自身が、めでたい人だった。出獄すると小さな塾を開いて、人材の育成に春の陽気のような情熱を注ぎ込む。倒木のそばで若木が育つように、松陰が短い生涯を終えた後、教え子たちの多くは時代の激流に身を投じ、明治維新の原動力となっていく。地方で芽吹いた若者たちが、日本を変える。まさに地方創生のお手本ではないか。
松陰先生、かく語りき。
『聖賢の尊ぶ所は、議論に在らずして、事業に在り』
→ 大切なのは、議論ではなく行動だ
【原文】
聖賢の尊ぶ所は、議論に在らずして、事業に在り。多言を費やすことなく、積誠(せきせい)之(これ)を蓄へよ(安政三年六月二日『久坂生の文を評す』)
【訳】
「賢く徳のある人が大切にすることは、議論ではなく、行動である。口先ばかりでなく、正しい行いを積み重ね徳を蓄えなさい」
【解説】
松下村塾の門下生で「天下の英才」と言わしめた長州藩医の子、久坂玄瑞に、萩の松本から送った松陰からの手紙。松陰は、自分には多言なところがあり、余計なことを話してしまうときがあってよくない、と言っている。それゆえか、門弟に口先ばかりのおしゃべりな男になるなと度々説いているのである。妹の文と結婚させた玄瑞にはとくに大きな期待をかけていたのだろう。言葉ではなく、きちんと行動に表せる人間こそが誠実であるというのは、今も昔も変わらない。
吉田松陰名言集 思えば得るあり学べば為すあり (宝島SUGOI文庫)
- 作者: 八幡和郎
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2014/10/04
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (4件) を見る