希望の眼
「【産経抄】希望の眼となれ 9月23日」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/140923/clm1409230004-n1.html
昭和30年代後半といえば、高度成長のまっただ中、岡山市内でもマイカーが普及して、交通量が目立って増えていた。そんなある日、旅館を営んでいた三宅精一さんは、自宅近くの交差点で、クラクションを鳴らされ、うずくまっている目の不自由な人を見かけた。
どうしたら、安心して歩けるようになるのか。三宅さんは、発明家でもあった。知人の視覚障害者のアドバイスを基に、私財を投じて開発したのが、点字ブロックだった。昭和42年に県立岡山盲学校近くの国道交差点に設置されたのが第1号となる。
当初自治体の多くは、ほとんど関心を示さなかった。東京都が採用を決めてから、ようやく全国へ普及していく。バリアフリーの研究者である徳田克己さんと水野智美さんによれば、今や海を渡り、北朝鮮を含めた、50以上の国と地域で、設置が確認されている(『点字ブロック』福村出版)。
ただ、欧米を除けば、視覚障害者のためにあることが、ほとんど理解されていないのが実情だ。いや、発祥国の日本でさえ、知らない人がいるらしい。自転車やバイクから、店の立て看板、ごみまで置いて、点字ブロックを平気で塞ぐ人が後を絶たない。
視覚障害者本人、あるいはパートナーである盲導犬が暴力の被害に遭う事件が相次いだ。関係者によると、表面化しているのは「氷山の一角」だという。せめて事件を、社会のバリアフリー化を加速させる契機にしたい。
「暗礁を恐れぬ 希望の眼となれ」。昭和57年に57歳の若さで亡くなった三宅さんを顕彰するため、4年前に岡山市内に建てられた石碑には、こんな言葉が刻まれている。点字ブロックが、「希望の眼」であり続けられるのか、私たちの心遣いにかかっている。
『財団のあゆみ | (一財)安全交通試験研究センター』 http://www.tsrc.or.jp/anzen/history/
『【発明者】点字ブロックを発明したのは日本人の三宅精一さん』 http://hosyusokuhou.jp/archives/38714610.html
眼と心と。
「こころ」が「まなこ」に言ふことにゃ
眼(まなこ)見る役、わしゃ悩む役
(眼の返歌)
こころが始めた色恋を
わたしゃ涙で後始末
── アフガニスタン民謡(『ランダイ』森亮 訳)