NAKAMOTO PERSONAL

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『サムライ・マインド』

御手討の夫婦なりしを更衣

── 与謝蕪村


「【産経抄】1月12日」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/140112/art14011203210000-n1.htm

 御手討の夫婦(めをと)なりしを更衣(ころもがへ)-前にも取り上げたことのある蕪村の句である。恐らく不義をはたらき、お手討ちの罰を受けるはずの男女が許され夫婦となった。衣替えの季節にひっそりと生きている。そう読めば、胸が熱くなってくる気がする。

 実はこの句の含意を教えていただいたのが亡くなった森本哲郎氏だった。「蕪村の夢 漱石の幻」という副題がつく『月は東に』で、蕪村はこれだけで一編の小説を書いたという。読者に想像の自由を許した小説で、2人の身の上をどのように思い描こうと自由だ。

 森本氏によれば、その自由を駆使して実際に小説としたのが夏目漱石の『門』である。『門』もまた、不義であろう「暗い過去」を背負った夫婦を描いている。確証はないが、執筆したときの漱石の中に、蕪村のこの句がなかったとは言い切れない、としている。

 江戸時代と明治・大正期を代表する2人の文学への深い洞察、その2人を結びつける想像力には恐れ入る思いだった。森本氏の「文明の旅」は世界へ広がるだけでなく、日本の過去へも遡(さかのぼ)っていた。そしてその行き着いたところが、「侍精神」であったような気がする。

 著書のひとつ『サムライ・マインド』は西郷隆盛福沢諭吉漱石ら近代の創始者たちの中にそうした精神を見る。決して武士階級だけのものではなく長い歳月をかけ、日本人に浸透した人倫としての規範である。それが近代日本を築いたのだと強調している。

 その精神を忘れ去っているのが現代の日本である。新聞記者出身の森本氏は「サムライ・マインドを捨て去ることは、日本をどこに導いていくことになるのだろう」と問いかける。軽薄な価値観や正義感だけまかり通る現代に、先輩の重い警句だ。

「評論家の森本哲郎氏が死去 88歳 元朝日新聞記者」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/140110/art14011009560002-n1.htm
「評論家の森本哲郎さん死去 88歳」(朝日新聞
 → http://www.asahi.com/articles/ASG1952LBG19UCLV00H.html
「訃報:森本哲郎さん88歳=評論家 文明・歴史論」(毎日新聞
 → http://mainichi.jp/select/news/20140110k0000e040148000c.html


森本さんの『サムライ・マインド』は、ぼくの座右の書のひとつ。

 私がここに、日本人の価値観の骨格ともいうべき「サムライ・マインド」を、あらためて検証してみたのは、現代の日本人にとって、いともかんたんに「古くさい」「封建的」、人によっては「軍国主義のスローガン」などと思われているサムライ精神が、決してそのようなものでなく──そうしたものとして利用されたことはたしかだが──長い歳月をかけて、日本人の生き方の支柱になってきた価値観であることを、あらためて確認したかったからである。そして、それがたんに武士のあいだだけでなく、すべての日本人の心のよりどころであり、行為の規範とされたこと、それゆえに、日本がこんにちの日本になったことを痛感させられたのであった。しかも、日本独特のサムライ・マインドが、けっして「特殊」にとどまらず、「普遍」へ通じていることを、私は思い知った。

── 森本哲郎(『サムライ・マインド』)

月は東に―蕪村の夢 漱石の幻 (新潮文庫)

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