NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

保守論壇の星

産経抄より。

「【産経抄】保守論壇の星 1月7日」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/140107/trd14010703150002-n1.htm

 拓殖大学大学院教授の遠藤浩一さんを知る誰もが、衝撃を受けたはずだ。1月3日付の小紙「正論」欄では、現状肯定主義に取り憑(つ)かれた政治家を厳しく批判していた。いつもながらの鋭い筆致に、留飲を下げたばかりだ。

 「甲午(きのえうま)は世の中が大胆に動く年といはれます」。同僚記者のもとには、歴史的仮名遣いの年賀状が届いていた。その矢先の訃報である。まだ55歳、若すぎる。

 遠藤さんは意外なことに、昭和63(1988)年6月の朝日新聞の記事では、“脚本家”として紹介されている。当時は、「政治のナマの姿に触れたい」と、民社党の職員として働いていた。一方で大学時代にのめり込んだ演劇活動をその後も続けている。そんな遠藤さんが書いた脚本が、新国劇に採用されたというのだ。

 そういえば、講演でハリのある声で熱っぽく聴衆に訴えかける、遠藤さんの「名優」ぶりは、つとに知られていた。あるとき感極まって涙を浮かべると、会場は水を打ったように静まりかえったという。もちろん、遠藤さんが真価を発揮したのは、著述家に転じてからである。ことに平成21年に正論メンバーとなって以来、軸のぶれない論調は、高い評価を受けてきた。

 首相の靖国神社参拝に、米国が「失望」を表明したからといって、あたふたする必要はない。遠藤さんならそう言うだろう。「肝要なのは、アメリカは明白なる他者であるという当り前の前提に立つことである」。13年前に出た、デビュー作となる『消費される権力者』で、すでにこう看破していた。

 政治学者の坂本多加雄さんが、52歳の若さで急逝したのは、平成14年の秋だった。保守論壇は、近い将来中心に立つべき人物を、またも失ってしまった。

遠藤浩一氏、死去 55歳 保守派の論客、正論新風賞」(産経新聞)
 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140106-00000092-san-soci
遠藤浩一氏死去 「正論新風賞」受賞 保守派の論客として活躍 拓大教授」(ZAKZAK
 → http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140106/dms1401061207004-n1.htm
「訃報:遠藤浩一さん 55歳=拓殖大教授、現代日本政治論」(毎日新聞)
 → http://mainichi.jp/shimen/news/m20140106dde041060060000c.html
遠藤浩一氏の若すぎる死を悼む」(BLOGOS)
 → http://blogos.com/article/77361/



「【正論】年頭にあたり 『観念的戦後』に風穴開けた参拝」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140103/plc14010303060002-n1.htm

 □拓殖大学大学院教授・遠藤浩一

 旧臘(きゅうろう)、テレビの報道番組で民主党前原誠司元代表が妙なことを口走っていた(12月9日放送のNHKニュースウオッチ9)。


 ≪前原氏の「色分け」に失笑≫

 曰(いわ)く、安倍晋三内閣は観念的保守で自分は現実的保守だ、政界再編は観念的保守の自民党と現実に根ざした保守勢力を対立軸にしていくべきだ、云々(うんぬん)。失笑した。

 日本維新の会や結いの党との連携を睨(にら)んで、安倍政権との違いを際立たせたいがための発言なのだろうが、言葉は正しく使ってほしい。安倍首相や自民党の何をもって観念的とするのか、発言者本人のこれまでの言動のどこが現実的なのか、全く分からない。

 いうまでもなく、政治とは現実との格闘である。筆者の見るところ、安倍内閣及び自民党はひとつひとつの政策を現実的に、かつ慎重に進めている。

 他方、民主党政権時代の前原氏が、八ツ場(やんば)ダム建設中止などマニフェストに掲げた政策に観念的執着をみせたのは記憶に新しい。そもそも保守という立場について「観念的」とか「現実的」と形容して分類すること自体、観念の遊戯に淫しているといわなければならない。

 おそらく集団的自衛権行使やその先に待っている憲法改正など、これまでの自民党政権やそれを小粒化した民主党政権が成し得ず、提起することさえしなかった、(前原氏から見れば)現実的とは思われないような課題を目標に据えている点をとらえて、「観念的」と揶揄(やゆ)してみたのだろう。

 してみれば氏の掲げる現実主義とは、現実を修正不可能なものとし、その歪(ひず)みや欠陥を是正するなどもってのほか、長いものには巻かれろという立場のようである。

 仮にそうであるならば、「現実に根ざした保守」は彼にとって自己否定のスローガンとなる。外交安全保障について、氏は「自立と協調」「アメリカを中心に他国と協調。ただし、自分の国は自分で守る」(同氏HP)としているが、政治家としてこうした観念を政策として実現するには現実の歪みを是正する意思と行動が求められる。


 ≪憲法改正は今や現実的課題≫

 米国と協調し日米同盟をより強固なものにするにあたって集団的自衛権行使は避けられないし、自立し自分の国を自分で守るようにするには、現行憲法の見直しは必須の現実的課題となる。一方、外国の顔色を窺(うかが)って英霊を蔑(ないがし)ろにするようでは自立どころか、自壊を待つのみだろう。

 今でこそ首相が先頭に立って憲法改正の必要性を主張するようになったが、しばらく前までは閣僚が憲法の欠陥や改正の必要性を口にすれば馘首(かくしゅ)される時代が続いた。昭和55年、奥野誠亮法相が憲法改正に言及して鈴木善幸首相に更迭されるということがあった。

 この時、現実主義を標榜(ひょうぼう)する某国際政治学者は、政治家は向後(こうご)10年間、憲法論議を棚上げにすべきだ、不愉快でも沈黙し、なすべきことをなすのが政治家の倫理である、と託宣した。憲法の改正は国会で発議することになっているのに、国会議員が議論を禁じられたら、誰がその職責を果たすのか、それこそ政治倫理にもとるではないかと、学生の身でも疑問に思ったものだ。

 この時、福田恆存は痛烈に批判した。政治学者はどうしたらいいのか、批評家はどうしたらいいのか、いくら御用学者となろうとも、言うべきことは、はっきり言わねばならない、と。


 ≪現状肯定の罠に嵌まるな≫

 そのさらに十数年前の昭和42年、福田と三島由紀夫が対談で、この問題について論じている。三島が「現実主義と現実肯定主義はすぐくっついちゃう」と指摘すれば、福田は「現状肯定、現状維持の現実主義者というのも、実は一種の観念論なんだよ」と返す。「現状のままで自衛隊合憲説を唱えていると、はじめのうちは嘘と意識していても、そのうちに本当にそんな気になってしまう」(『文武両道と死の哲学』)との福田の発言には、今日も重みがある。とすると、世の中は変わってはいないということになる。

 いや、世の中は変わったのに、ちっぽけな現状肯定主義に取り憑(つ)かれた前原氏らが取り残されているだけなのかもしれない。変化に追いつけない連中が連合しようが新党を作ろうが、そんなものは放っておいて現実の政治が粛々と進んでいくのなら、それでいい。

 民主党政権という悪夢のような現実を清算し、安倍政権が誕生して1年。堅実かつ大胆な運営で相当の成果を上げているが、安倍首相の真の目標は憲法を正して「戦後」に終止符を打つことにある筈(はず)だ。このすぐれて現実的な目標を達成するには、粘り強さと周到さが求められる。そして現実主義と現実肯定主義を峻別し、後者の罠(わな)に嵌(は)まらぬよう注意することだ。その意味で、首相の靖国神社参拝は観念化した「戦後」から脱却するための大きな一歩といえる。

福田恆存と三島由紀夫〈上〉―1945~1970

福田恆存と三島由紀夫〈上〉―1945~1970