NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『青鬼の褌を洗う女』

明日は休み。


休みの前は、夜更かし。
と、息巻くけれど、既にウトウト、コクリコクリと船を漕ぐ。

「私はどれぐらいウトウトしたのかな」
「二十分ぐらい」
「二十分か。二分かと思ったがなア。君は何を考えていたね」
「何も考えていない」
「何か考えたろう」
「ただ見ていた」
「何を」
「あなたを」
 彼は再びコクリコクリやりだす。私はそれをただ見ている。彼はいつ目覚めても私のニッコリ笑っている顔だけしか見ることができないだろう。なぜなら、私はただニッコリ笑いながら、彼を見つめているだけなのだから。
 このまま、どこへでも、行くがいい。私は知らない。地獄へでも。私の男がやがて赤鬼青鬼でも、私はやっぱり媚をふくめていつもニッコリその顔を見つめているだけだろう。私はだんだん考えることがなくなって行く、頭がカラになって行く、ただ見つめ、媚をふくめてニッコリ見つめている、私はそれすらも意識することが少くなって行く。
「秋になったら、旅行しよう」
「ええ」
「どこへ行く?」
「どこへでも」
「たよりない返事だな」
「知らないのですもの。びっくりするところへつれて行ってね」
 彼は頷く。そしてまたコクリコクリやりだす。
 私は谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗っている。私はフンドシを干すのを忘れて、谷川のふちで眠ってしまう。青鬼が私をゆさぶる。私は目をさましてニッコリする。カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。

── 坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』

「すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。」

すっかり忘れいてた、なつかしい退屈。



白痴・青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)

白痴・青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)