歯と本と幸福と。
歯医者の帰りはいつも本屋。(歯医者の帰りじゃなくてもだけれど.....。)
気になる本が数冊。
御用学者と呼ばれて (双葉新書)
旋毛曲がりのぼくは、世の中の流れに抗する主張を貫く彼の存在が気になる。
日本農業への正しい絶望法 (新潮新書)
「〈有機栽培だからおいしい〉〈日本人の舌は厳しい〉〈農業は成長産業だ〉←全部、ウソです。」
考える生き方
表紙から前書きが始まる装丁が面白い。内容はいざ知らず。
今は亡き、小室直樹、谷沢永一の新刊かと思いきや、霊言とは.....。
間違えるからやめとくれ。
例の、幸福を科学する団体。
“「幸福になりたい」症候群”。
幸福を発明した“末人”(おしまいの人間)たちである。
ぼくは君達にそういう人間、末人を見せてやろう。
見よ。私は君たちにそういう人間、末人を見せてやろう。
《愛とは何か? 創造とは何か? 憧れとは何か? 星とは何か?》──末人はそう尋ねて、まばたきする。
そのとき地球は小さくなっている。小さな地球の上に、すべてを小さくする末人がぴょんぴょん飛び跳ねている。この種族は蚤のように根絶しがたい。末人はもっとも永く生き延びる。
《われわれは幸福を発明した》──末人たちはそう言って、まばたきする。
彼らは暮していくのに厳しい土地を見捨てた。なぜなら暮していくには温みが必要だからである。そのうえ隣人を愛して、隣人に体をこすりつける。温みが必要だからである。
病気になることと不信を抱くこととは、彼らにとっては罪である。彼らは歩き方にも用心深い。石に躓く者、あるいは人に躓く者は愚者とされる!
ときどき少量の毒を用いる。それは快い夢を見させてくれるからである。そして最後に大量の毒を用い、快き死に至る。
彼らもやはり働く。働くことは慰みになるからだ。しかしこの慰みが身を損ねるこねることがないように気をつける。
彼らはもはや貧しくなることも、富むことない。どちらも煩わしすぎるのだ。誰ももう統治しようとしない。誰ももう服従しようとしない。どちらも煩わしすぎるのだ。
牧人は存在しない。存在するのはただ一つの畜群だけである! 誰でもみな平等を欲し、誰でもみな平等である。それに同調できない者は、すすんで気違い病院に入る。
《昔は世の中全部が狂っていたのだ》──そう洗練された人士は語り、まばたきする。
彼らは怜悧であり、世に起こったいっさいについて知識をもっている。だから彼らの嘲笑の種子はつきない。彼らもやはり争いはする。しかしすぐに和解する。さもなければ、胃をそこなうことになるからだ。
彼らはささやかな昼の快楽、ささやかな夜の快楽をもっている。だが健康をなによりも重んじる。
《われわれは幸福を発明した》──末人たちはそう言って、まばたきする──
そうそう、今日は“人間通”、谷沢永一氏の命日。(平成23年)
人間は新し物好きでありながら同時に新規を畏れ憚る。新しく世に現れる物は常に怪しげである。しかし一寸見には正体不明の首を傾げたくなるような分野から、実は次の時代を主導する文明の利器が成長する。変わったことは良いことだと刮目して期待すべきであろう。人間の組織でも生産の過程でも、業績は新しい原理への転換に端を発する。その悉(ことごと)くが成功する保証はないにしても、次元を異にする発想のなかから未来が芽生えるであろう。健康な精神は明日を信じる。自分が去ったあとのこの世になお幸せあれ輝きあれと念じる明朗な心躍りを楽しむべきではないのか。
- 作者: 谷沢永一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/05
- メディア: 単行本
- 購入: 7人 クリック: 14回
- この商品を含むブログ (3件) を見る