山本夏彦
今日は山本夏彦の10周忌。
“大”朝日新聞を敵に回した“豆朝日新聞”、“安物の正義”を嫌い、偽善と戦い続けた、稀代の名コラムニスト。
夏彦翁のことば、厳選二十。
- テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを「茶の間の正義」と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。
- 白髪は知恵のしるしではない。
- 身辺清潔の人は、何事もしない人である。出来ない人である。
- 本というものは、晩めしの献立と同じで、読んで消化してしまえばいいものである。記憶するには及ばないものである。何もかも記憶しようとするのは欲張りである。忘れまいとするのはケチである。
- 芸(術)はしばしば毒をふくむ。毒ならば気がつかぬように盛らなければならない。
- 人が足りる思いをするのは、他と区別して多い場合である。
- 古人は言論を売らなかった。今人は売る。
- 親切というものはむずかしいという自覚を、親切な人は忘れがちである 。
- 先生が子供たちに意見を言わせ、それをディスカッションと称して聞くふりをするのは悪い冗談である。意見というものは、ひと通りの経験と常識と才能の上に生じるもので、それらがほとんど子供には生じない。
- 私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほんとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自己の外部にあって、内部にはないという自信がある。
- 子供たちは互いにおうむ返しだと知りながら、自分の言葉としょうして発言する。それなら大人と同じである。
- 「ねずみ講」は日本中の善男善女をだました、許せないと新聞がいうと、テレビも同じくいう。だまされたのは欲ばったからで、馬鹿だったからだというなら分るが、善人だったからだという。
- 親は子の口まねをしないことをすすめる。これだけで日本語は改まる。親というものは、子供がこの世で出あう最初の教師である。箸のあげおろしから、基礎的な言葉まで、子が親のまねをするのが順序である。
- 知らないことには二種ある。全く知らないことと、よく知らないことの二種である。人は全く知らないことでさえ、知ったかぶりして教えようとする。すこし知ることなら得意になってなお教えようとする。
- 事実があるから報道があるのではない。報道があるから事実があるのである。
- 大ぜいが異口同音にいうことなら信じなくてもいいことだ。
- 理解をさまたげるものの一つに、正義がある。良いことをしている自覚のある人は、他人もすこしは手伝ってくれてもいいと思いがちである。だから、手伝えないと言われるとむっとする。むっとしたら、もうあとの言葉は耳にはいらない。
- 私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。ただ、正義と良心だけは売物にしてはいけないと思うのである。
- 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。
- 私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう。
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