NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『自助論』(2)

サミュエル・スマイルズの『自助論』(竹内均 訳)


第一章 自助の精神 ── 人生は自分の手でしか開けない!

2 「努力はとぎれることなく引き継がれる」

 どんな国家であれ、幾世代にわたる人間の思想や活動の蓄積を経て現在の姿に発展してきた。社会の階層や生活の状態にかかわらず、たゆまず黙々と働いてきた人は多い。

 現代の人間は、祖先の技術や勤勉によってもたらされた豊かな財産の後継者なのである。そして、われわれはこの財産を損なうことなく自らの責任において守り育て、次代の人々に手渡していかねばならない。

 確かにどんな場合にも、他より抜きん出た力を発揮して人の上に立ち、世間の尊敬を一身に集める人物はいるものだ。だが、それほどの力を持たず名も知られていない多くの人たちでさえ、社会の進歩には重要な役割を果たしている。

 たとえば、歴史上の大きな戦役で名を残すのは将軍だけだ。しかし実際には、無数の一兵卒の勇気あふれた英雄的な行動なしに勝利は勝ち取れなかったはずだ。人生もまた戦いに他ならない。

 大切なのは一生懸命働いて節制に努め、人生の目的をまじめに追求していくことだ。それを周囲に身をもって示している人間は多い。彼らは、地位や力がどんなに取るに足らないものだとしても、現代はもとより将来の社会の繁栄に大きく寄与している。というのも彼らの生活や人生観は、意識するしないにかかわらず周りの人間の生活に浸透し、次代の理想的な人間像として広まっていくからだ。

最高の「教育」は日々の生活と仕事の中にある

 エネルギッシュに活動する人間は、他人の生活や行動に強い影響を与えずにおかない。そこにこそ最も実践的な教育の姿がある。学校などは、それに比べれば教育のほんの初歩を教えてくれるにすぎない。

 生活に即した教育は、むしろはるかに効果が高い。家庭や路上で、店や工場や農家で、そして人の集まるところならどこでも、毎日この生活教育は実践されている。

 実際の仕事を学びながら人間性をみがき克己心を養うことができれば、人は正しい規律を身につけ、自らの義務や仕事をうまくこなしていけるようになる。

ベーコンはこう語っている。
「どんな学問や研究も、それ自体をどう使えばいいかについては教えてくれない。その一方、現実生活をよく観察すれば、学問によらずとも学問にまさる知恵を身につけることができる」

 人間は読書ではなく労働によって自己を完成させる。つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。

 そうはいっても、すぐれた人物の伝記には確かに学ぶところが多く、生きていく指針として、また心を奮い立たせる糧として役立つ。

 立派な人間性を持った人物は、自助の精神や目的へ邁進する忍耐力、めざす仕事ややり抜こうとする気力、そして終生変わらぬ誠実さを兼ね備えている。

 伝記は、このような貴重な人間の生涯をわかりやすい言葉で伝え、われわれが目標を成し遂げるには何が必要かをはっきり示してくれる。

 また、主人公が恵まれてない環境から身をおこして名誉や名声を勝ち得るまでの歩みが生き生きと描かれ、読む者に自尊心や自信の大切さを痛感させる。

 科学の分野にしろ文学や芸術の分野にしろ、偉人とたたえられる人物はどこか特定の身分や階層に属しているわけではない。大学を出た者もいれば、幼いうちから働いた者もいる。貧しい掘っ立て小屋の出もいれば金持ちの邸宅に生まれた者もいる。

 きわめて貧しい境遇にもかかわらず最高の地位に上り詰め人物の例を見れば、どんなにきびしく克服しがたいような困難でさえ、人間が成功する上で障害とはならないとはっきりわかる。

 多くの場合、このような困難は逆に人を助ける。つまり貧苦に耐えて働こうという意欲も起きるし、困難に直面しなければ眠ったままになっていたかもしれない可能性も呼びさまされるからだ。

 このように、障害を乗り越えて勝利を勝ち得た人間の例は多い。それは「一志をもって万事を成し得べし」という格言をみごとに証明している。

「もし私が裕福だったら・・・・・・いまの私はない」

 ジェレミー・テーラーは詩才に恵まれた神学者である。リチャード・アークライトは多軸(ジェニー)紡績機を発明して綿工業発展の基礎を築いた。また、テンダテンは英国法院の主席裁判官として名高く、ターナーは風景画の巨匠である。だが、彼らはみな一介の床屋から身をおこしてその地位に達したのだ。

 シェークスピアが劇作家として名を成す前の職業についてはいまだ不明である。だが、卑しい身分の出であることだけは疑いない。

 天文学の発展に大きく貢献した人々の中にも、貧苦から身をおこした例は多い。

 コペルニクスはポーランドのパン屋の息子だった。ケプラーはドイツの居酒屋の息子で、自らも酒場のボーイをやっていた。またダランベールは、冬の夜にパリの聖ジャン・ル・ロン教会の石段のところで拾われたみなし子で、ガラス屋のおかみさんに育てられた。ニュートンはイギリスのリンカンシャー州グランサム付近の小さな農家の息子であり、ラプラスセーヌ川河口の町オンフルール近くの貧農のせがれだった。

 富は、貧困よりむしろ人間の成長にとって障害となるほうが多い。

自助論

自助論


西国立志編 (講談社学術文庫)

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