NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

憲法公布65年

「【主張】憲法公布65年 9条改正し自衛隊を軍に」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111103/plc11110303100001-n1.htm

 ■まずは「3分の2」規定緩和を

 憲法が公布されてから3日で65年を迎えた。目を向けたいのは、日本が主権国家として国民の安全と繁栄を守り抜くことができるのかである。

 尖閣諸島などへの中国の海洋進出や、ロシアの挑発的な行動が目につく中、国の守りは9年連続の防衛費削減もあり、危うさを増している。

 中国政府の海洋調査船や漁業監視船など公船が尖閣周辺の日本領海を侵犯しても、退去要請を繰り返すしかないというのが日本の現実である。

 非常時への準備のなさも、東日本大震災で明らかになった。

 これらのことは、有事を「想定外」として思考停止に陥っていた、戦後の国のありようを問いただしてもいる。


 ≪「当たり前の国」になれ≫

 当たり前の国家として、基本的な責務を果たしていくことが求められている。それには、警察予備隊発足61年の自衛隊を軍として位置づけ、国家の機能を取り戻すことが必要不可欠だ。

 占領下で制定された憲法の狙いは日本の非武装化だったが、もはや何の意味も持たず、国の弱体化の「元凶」になっている。

 国際社会では、軍について「指揮官の存在」「公然と武器を所持している」「交戦法規を守る」などの定義がある。自衛隊は、そのいずれも満たしている。

 それが「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする憲法9条によって、軍として認められていない。自衛権そのものは国家が生存していく自然権として持っていても、普通の国なら当然の主権を行使できないのだ。

 そのことにより、防衛政策や防衛力の強化は著しく制限されてきた。そのひとつが、専守防衛という防衛政策の基本方針の下で、自衛隊が運用されていることだ。

 相手の攻撃を受けて初めて必要最小限の防衛力を行使するというものだが、抑止力が機能しないのは明らかだ。

 国連平和維持活動(PKO)についても、他国の要員が攻撃を受けても、自衛隊が助けに行くことはできない。助けに行った場合、応戦することもありうるが、その場合は武力行使との一体化を禁じる憲法に抵触する−という政府解釈があるためだ。

 PKOでの武器使用は、任務遂行への妨害行為を排除するための抑制的なものであり、国際標準である。

 それを認めないようでは、他国の「戦友」や国際社会の信用を失いかねない。

 抑制的な防衛政策の下で、法体系の不備も深刻だ。

 日本は海洋国家でありながら、領海を守る法律がない。現状では中国の公船が日本の領海に居座った場合、海上保安庁の巡視船は退去を呼びかけるしかない。


 ≪領海守れる法の制定を≫

 これも「沿岸国は無害でない通航を防止するため、自国の領海内において必要な措置をとることができる」とする国連海洋法条約を、国内法に適用するのを怠ったことが大きい。領域警備法などの制定も必要だ。

 本紙は9月22日、「自立」と「相互協力」を両輪とする日米安保条約の再改定案を提言した。

 現行条約5条では、米国は日本の防衛義務を負うが、日本はその逆の義務はない。そうした「片務性」を解消し、両国の対等な義務と負担によって、日米共同行動を強化するのが柱だ。

 そうした安保再改定を実現するためにも、自衛隊を明確に軍と位置づけ、自存・自衛の防衛力を強めることが前提となる。

 憲法を「不磨の大典」として、一度も改正を行わずにきた大きな原因は、「衆参両院の各3分の2以上の賛成」という厳しい改正要件の存在だった。

 これに対し、民主、自民両党などの有志議員が「両院の過半数」に緩和するための「憲法96条改正を目指す議員連盟」を作り、賛同者が200人を超えるなど大きな広がりを見せている。

 憲法の各論でいきなり対立するのではなく、改正を妨げていた要件緩和を行ったうえで、具体的な論議に入っていこうという現実的で妥当な動きといえる。

 設置から4年以上経てメンバー構成が行われ、ようやく始動が可能になった衆参両院の憲法審査会でも、この課題に最優先で取り組んでほしい。

我が聖典に曰く、、

 現行憲法に権威が無い原因の一つは、その悪文にあります。悪文というよりは、死文と言うべく、そこには起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない。 われわれが外国の作品を翻訳する時、それがたとえ拙訳であろうが、誤訳であろうが、これより遥かに実意のこもった態度をもって行います。というのは、それを翻訳しようと思うからには、その前に原文に対する愛情があり、それを同胞に理解して貰おうとする欲望があるからで、それがこの当用憲法にはいささかも感じられない。今更ながら欽定憲法草案者の情熱に頭が下がります。よく悪口を言われる軍人勅語にしても、こんな死文とは格段の相違がある。前文ばかりではない、当用憲法の各条項はすべて同様の死文の堆積です。こんなものを信じたり、有難がったりする人は左右を問わず信じる気になれません。これを孫子の代まで残す事によって、彼らの前にわれわれの恥を曝すか、或いはこれによって彼らの文化感覚や道徳意識を低下させるか、そういう愚を犯すよりは、目的はそれぞれ異なるにせよ、一日も早くこれを無効とし、廃棄する事にしようではありませんか。

── 福田恆存日本への遺言

 私は当時の日本の政治家がそれほど馬鹿だったとは思わないし、政治家という職業は憲法学者ほど気楽に出来るものとも思わない。改めて強調するまでもありますまいが、これは明らかに押付けられて仕方なく作った憲法です。いかにも不甲斐無いとは思いますが、当時の実情を考えれば、情状酌量出来ない事ではない。しかし、それならそれで事情を説明して国民の前に一言詫びれば良いと思います。アメリカも公式に謝罪した方が宜しい。そうすれば、われわれはさっぱりした気持ちで、それこそ自発的に、われわれの憲法に天下晴れて対面が出来るでしょう。今のままでは自国の憲法に対して、人前には連れて出られない妾のような処遇しか出来ません。もっとも、それを平和憲法として誇っている人も沢山をりますけれど、それはその人達が妾根性を持ち、事実、妾の生活をしているからに他なりません。

── 福田恆存日本を思ふ


福田恆存評論集〈第3巻〉平和論にたいする疑問

福田恆存評論集〈第3巻〉平和論にたいする疑問