NAKAMOTO PERSONAL

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大作家の虚言

「【正論】拓殖大学客員教授・藤岡信勝 大江氏は裁判で勝ったのか?」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110520/trl11052003410000-n1.htm

 大東亜戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の隊長が住民の集団自決を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎氏の著書により名誉を傷付けられたとして、元隊長らが出版差し止めを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷は4月21日、2審で敗訴した原告側の上告を退ける決定を行った。これで、2審の大阪高裁判決が確定し、平成17年8月の提訴以来6年目にして、訴訟に一応の決着が付けられた。この機会に、訴訟に関わってきた1人として沖縄集団自決訴訟とは何であったのか意味を考えておきたい。

 ◆上告棄却はただの門前払い

 最高裁決定は、3行の主文に9行の理由が付されただけの簡単なものである。その上告棄却の理由は、民事訴訟法312条によって民事事件について最高裁に上告をすることが許されるのは、憲法違反または下級審判決の理由が不備である場合に限られるが、原告の上告理由の実質は事実誤認または単なる法令違反を主張するものであって、明らかに民訴法に規定する事由に該当しない−である。

 要するに、最高裁は事実審議は行わないから事実誤認を根拠とした上告は受け付けないという門前払いだ。各紙がかなり大きく取り上げ、沖縄2紙はお祭り騒ぎを繰り広げたから、最高裁が何か集団自決について実質的な判断をしたかのように思っている人もいるだろうが、錯覚である。最高裁の決定はそもそも内容がなく、論評に値しない。三審制については、3回裁判が受けられるとのイメージを持たれているかもしれないが、多くの場合、2審までで裁判は事実上終わってしまうのである。

 裁判の最大の争点は隊長命令説の真偽であった。大江氏はその著書『沖縄ノート』の中で、渡嘉敷島の守備隊長・赤松大尉を、「ペテン」「屠殺(とさつ)者」「アイヒマン」「罪の巨塊」などと呼んでいた。ところが、隊長命令説は、県の公刊資料や住民側の手記(宮城晴美『母の遺(のこ)したもの』など)によって、平成12年(2000年)頃までには完全に崩れ去っていた。

 ◆疑わしきは罰する奇妙な論理

 だが、2審は、「その後公刊された資料等により、控訴人梅澤及び赤松大尉の(中略)直接的な自決命令については、その真実性が揺らいだといえるが、本件各記述やその前提とする事実が真実でないことが明白になったとまではいえない」として、被告勝訴の判決を下した。「疑わしきは罰する」ともいえる奇妙な論理である。

 最初にこの論理を展開したのは「百人斬り訴訟」の判決である。日本刀で百人もの人間を斬り殺せないことは明らかであり、そのことを一方で認めながら、他方で旧日本軍の中国人に対する残虐行為などを挙げて、それゆえ、「一見して明白なほどなかったともいえない」という理屈で、南京戦に参加した旧日本軍将校の名誉を毀損(きそん)する記事を書いた新聞記者を免責したのである。日本の司法の退廃はとどまるところを知らない。

 訴訟の経過を通じて残念だったのは、大阪地裁で1審が結審した後の平成19年1月、座間味島宮平秀幸氏の新証言が明るみに出たのに、弁護団が反対尋問で崩されるのを恐れ控訴審で宮平氏の証人申請をしなかったことである。

 沖縄戦当時15歳の宮平氏は旧日本軍の伝令役を務め、昭和20年3月25日夜、座間味島の梅澤隊長のいる戦隊本部の壕に、集団自決用の武器弾薬を求めて村幹部がやってきたときの様子を至近距離で目撃していた。梅澤隊長は武器弾薬を渡さなかったばかりか、逆に、村民に「自決するな」と「命令」し、しかも、それを受け、村長が自決のため忠魂碑前に集まった村民を解散させていたのである。

 ◆集団自決訴訟には数々の意義

 梅澤、赤松両氏の悲願を成就できなかったのは残念だが、手弁当の弁護団によって支えられたこの訴訟には大きな意義があった。

 第1に、沖縄集団自決の事実の解明が飛躍的に進んだ。新たな証言者が現れ、文献が発掘され、今後の研究の足がかりができた。

 第2に、沖縄集団自決の真相が国民の間に広く知られるようになった。国民の目は節穴ではない。しかし、裁判を起こさなければ、これほど多数の人々の関心を呼ぶことは決してなかっただろう。

 第3に、地元沖縄で真実のために戦う人々の核が形成された。周囲の同調圧力の中でも真実を守ろうという勇気ある証言者が現れ、地元作家は沖縄の新聞を相手取って新たな訴訟を起こしている。

 第4に、文科省教科書検定に影響を与えた。平成18年度の高校日本史教科書の検定で、同省は集団自決が軍の強制であったかのように書かれた記述に初めて検定意見を付けた。もっとも、文科省はその後、旧日本軍の集団自決への「関与」を認めたので反軍的記述はかえって増大した。ただし、検定意見自体は撤回していない。

 大江氏は事実が認められたかのようにコメントしているが、言論界の「戦後レジーム」を守った高裁判決でさえ、隊長命令は「証拠上、断定できない」としている。この作家はどこまでも虚言を弄するつもりのようである。

『2011年03月04日(Fri) 偏向展示 編集 』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20110304
『2005年06月11日(Sat)「虚構と真実」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050611
『2005年07月25日(Mon)「虚構と真実(2)」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050725
『2008年12月07日(Sun) 教科書検定改善案四紙社説』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20081207



生贄の島―沖縄女生徒の記録 (文春文庫)

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