NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

師弟

「【産経抄】1月31日」より
 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013102460000-n1.htm

 札幌市の新川は今ではマンションが並ぶ住宅街だが、昭和30年代には酪農を営む家が点在するだけだった。地元の新川小学校に通う子供たちは、早朝から牛舎で働く親の顔を見ることなく、朝ご飯を食べて登校する。

 ▼親に代わって学校で身の回りの世話をしてくれたのが、木谷(きや)ヨネ先生だった。放課後になっても、子供たちは先生のそばから離れない。髪が伸び放題になったら、バリカンで刈ってもらう。先生に感謝しない親はいなかった。先生は、平成18年に96歳の生涯を終える。

 ▼2年前に新川小学校が100周年を迎えたのを機に、教え子の一人、樋口則子さんが、ヨネ先生の思い出を『新川小学校ノスタルジア』という小冊子にまとめた。それを東京都国立市に住む先生の四男、泰夫さんが送ってくださった。

 ▼先日小欄で「師弟愛という言葉も、最近とんと耳にしない」と書いた。「同感だが、こんな教師がいたことも知ってほしい」というのだ。先生は昭和24年、7人の子供とともに校長夫人として、この地にやって来た。翌年、校長は交通事故で亡くなってしまう。

 ▼家庭科を教えていたヨネ先生はまもなく担任教員に任命され、在職はそれから20年に及んだ。樋口さんは運動会の前日、児童がけがをしないようにグラウンドで石を拾い集める先生の姿を目撃している。不登校だった弟を毎日迎えに来てくれたこともあった。

 ▼きのう取り上げた日教組の教研集会では、卒業式から「仰げば尊し」を追放しようとした教師の報告もあった。先生と生徒の関係を「友達」から「師弟」に戻さない限り、教育の再生はない。樋口さんたちのように、子供たちに心をこめて「仰げば尊し」を歌ってもらいたい。


「【産経抄】1月30日」より
 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/110130/trd11013004120000-n1.htm

 かつて春日三球・照代さんの「地下鉄漫才」が人気を呼んだことがある。「地下鉄の電車はどこから地下に入れたのでしょう」「それを考えると夜も眠れない」。言われてみれば誰でも感じていた「疑問」に、思わず笑ってしまったものだ。

 ▼だが全く笑えない「疑問」もある。日教組の先生が社会科の授業で「北方領土はどこの国の領土か、わからなくなった」という。先日、茨城県で開かれた教育研究全国集会で発表された中学教諭の「悩み」だ。しかも北方領土に近い北海道根室市の先生なのだそうだ。

 ▼国後、択捉など北方四島が日本以外の領土になったことはなく、ロシアに占拠される理由はひとつもない。そのことは歴史を少し勉強すればすぐにわかる。「わからない」というのは、日教組の思想の問題というより基本的常識の欠如と言うしかない。

 ▼そんな「疑問」が堂々と発表されるということに、この教研集会なるもののレベルを感じさせるが、それだけではない。自衛隊の国際貢献を否定的に考えさせようと授業したのに、プラスに評価する生徒が相次いだ。そんな「悩み」を持ち込んだ教師もいた。

 ▼そうかと思うと一昨日、東京高裁で敗訴した国旗・国歌訴訟の原告弁護士は教師の「苦しみ」を訴えた。判決は国旗の前での起立などを求めた都教委の通達を「合憲」と認めた。それは「(通達で)現場の先生が苦しんでいることを理解しない判決」なのだそうだ。

 ▼だが自国、他国を問わず国旗・国歌に最大限の敬意を示すのは世界の常識だ。裁判で争うようなことではない。だからそれで苦しむとすればその方がおかしいのだ。むろん大半の先生は常識に従って教壇に立っているのだろうが。