NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

文化の日

『文化の日』 「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日。


すすめるべき文化とは、何ぞや。

 政治、経済、外交などと異なり、文化に関するかぎり、私たちは優劣や希望、絶望の観点からものを見ないほうがよい。文化に関するかぎり、長所は必ず短所に通じるものなのだ。一番大切なことは、自分の長所を知ってそれを助長し、短所を知ってそれを抑制するということよりも、長短とは関わりなく、日本の文化は私たちの「生き方」なのだという、ただそれだけの理由でそれを愛し、それに自信をもつことである。が、その態度はおそらくこうした説得によって得られるものではなく、そういう風にして生きている人を見つけることによってしか得られはしまい。
 もし私たちが、物を愛し造る職人を、それを意義づけし、目的を強いる文化人よりも尊重するように心がけさへしたら、日本の文化は今よりも「良く」なるであろうとは言わない。「深く」なり「厚み」を増すであろう。

 エリオットは「文化とは生きかたである」といつてをります。一民族、一時代には、それぞれ自分特有の生きかたがあり、その積み重ねの頂上に、いはゆる文化史的知識があるのです。私たちが学校や読書によつて知りうるのは、その部分だけです。そして、その知識が私たちに役立つとすれば、それを学ぶ私たちの側に私たち特有の文化があるときだけであります。私たちの文化によつて培(つちか)はれた教養を私たちがもつてゐいるときにのみ、知識がはじめて生きてくるのです。そのときにだけ、知識が教養のうちにとりいれられるのです。教育がはじめて教養とかかはるのです。
 文化によつて培われた教養と申しましたが、いふまでもなく、教養といふものは、文化によつてしか、いひかへれば、「生きかた」によつてしか培はれないものです。ところで、その「生きかた」とはなにを意味するか。それは、家庭のなかにおいて、友人関係において、また、村や町や国家などの共同体において、おたがひに「うまを合わせていく方法」でありませう。といつて、この方法は、なにも個人個人がめいめいに考へるものではなく、個人が生まれるまへからおこなはれてゐたものなのであります。

── 福田恆存『日本への遺言』


『文化の日 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%97%A5