『努力論』
久しぶりに露伴の『努力論』なんぞ。
『初刊自序』
努力とは一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽心竭力(けつりょく)の時のそれである。
ただ時あって努力の生ずる果が佳良ならざることもある。それは努力の方向が悪いからであるか、然(しか)らざれば間接の努力が欠けて、直接の努力のみが用いらるるためである。無理な願望に努力するのは努力の方向が悪いので、無理ならぬ願望に努力して、そして甲斐(かい)のないのは、間接の努力が欠けて居るからだろう。瓜の蔓(つる)に茄子(なすび)を求むるが如きは、努力の方向が誤って居るので、詩歌の美妙なものを得んとして徒(いたず)らに篇を連ね句を累(かさ)ぬるが如きは、間接の努力が欠けているのである。誤った方向の努力を為すことはむしろ少ないが、間接の努力を欠くことは多い。詩歌の如きは当面の努力のみで佳なるものを得べくはない。不勉強が佳なる詩歌を得る因にはならぬが、ただ当面の努力のみによって佳なる詩歌が得らるるものではない。
努力は好い。しかし努力するということは、人としてはなお不純である。自己に服せざるものが何処かに存するのを感じて居て、そして鉄鞭を以てこれを威圧しながら事に従うて居るの景象がある。
努力して居る 、もしくは努力せんとして居る、ということを忘れて居て、そして我が為せることがおのずからなる努力であって欲しい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真の好いものである。しかしその境に至るには愛か捨かを体得せねばならぬ、然らざれば三阿僧祇劫(あそうぎごう)の間なりとも努力せねばならぬ。愛の道、捨の道をこの冊には説いて居らぬ、よってなおかつ努力論と題している。
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運が味方につく人つかない人―幸田露伴『努力論』を読む (知的生きかた文庫)
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