NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

教科書検定改善案四紙社説

「【主張】教科書検定 事後公開が信頼性高める」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/life/education/081206/edc0812060233001-n1.htm

 教科書検定の過程を検定終了後に公表する改善案が文部科学省から示された。公表されるのは、教科書調査官の調査意見書や検定審議会の議事概要などだ。検定の透明性と信頼性を高めるためのおおむね妥当な改善内容である。
 これまでは検定前の記述と検定意見、検定後の記述だけが発表され、調査官がどんな意見を付け、それが審議会でどう議論されたかは詳しく分からなかった。
 このため、国民の知らないところで、中国や韓国の意向を受けた外務省サイドが検定に圧力を加えるケースがあった。いわゆる「新編日本史・外圧検定事件」(昭和61年)や元外交官の検定審議会委員による「検定不合格工作事件」(平成12年)である。
 これからは、事後ではあるが、検定経過が一定程度、公表されることにより、外務省もそのような干渉はしにくくなるはずだ。
 現行の検定済み教科書を開いてみると、学問的には破綻(はたん)した慰安婦“強制連行”説をあたかも真実であるかのように記述している例が、いくつも見られる。南京事件の犠牲者数について、中国当局発表の「30万人」をも上回る「40万人」とする記述が検定をパスしたこともある。
 検定経過が事後公開されるようになれば、教科書調査官や検定審議会委員は国民の目を意識し、より緊張感をもって検定業務や審議に臨むことが求められる。
 審議会の審議そのものを原則公開すべきだという意見もあるが、行き過ぎだろう。検定審議会の審議は、外部の意見や先入観にとらわれず、静かな環境で公正に行われるべきものだ。審議対象となる申請図書に出版社名や著者名が書かれず、「白表紙本」と呼ばれているのも、そのためである。やはり事後公開が望ましい。
 検定の中身がほとんど公開されていなかった当時、旧文部省記者クラブの各紙・各テレビ局の記者は膨大な量の教科書を分担して取材した。そのうちの一社の記者が得た、検定で日本の中国「侵略」が「進出」に変わったという誤った情報を全社が一斉に報じた。これが外交問題に発展した。
 昭和57年の教科書誤報事件である。検定の中身が少しずつ公開されるようになったのは、それからだ。文科省の検定担当者やマスコミは常に、この苦い経験を頭に入れておく必要があろう。


教科書検定―密室の扉がわずかに開く」(朝日新聞)
 → http://www.asahi.com/paper/editorial20081205.html

 教科書検定の透明性を高めるための改善案がまとまった。検定が終わった後に、経過が大まかにではあるが公表されることになる。

 子どもたちが学校で使う教科書は、民間が作ったものを政府が中身や表現を点検し、必要に応じて修正させる。それが教科書検定制度である。

 研究者らの間から文部科学省職員として採用される教科書調査官が意見書を作り、有識者による検定調査審議会にかける。その結論をもとに教科書会社に修正を求める仕組みだ。

 驚くのは、その密室性である。審議会が非公開なことは言うに及ばず、意見書の中身や審議の概要も明らかにされない。それどころか、担当した調査官や審議委員の名前すら秘密である。「静かな環境で議論していただく」というのが、文科省の言い分だ。

 今回、扉を少し開こうとするのは、安倍内閣時代の高校日本史の検定で、沖縄の集団自決が日本軍に強いられたという趣旨の記述を削らせ、その後事実上修正した一件がきっかけだ。

 改善案では、調査官の名前や担当教科を公開し、検定終了後に調査官の意見書や審議概要、出席した審議委員名も明らかにする。審議の過程で議論が明らかになれば外部からの働きかけも懸念される中では、これが限界というのが文科省の言い分なのだろう。

 これまでと比べれば、前進ではある。どんな人のどんな意見がもとになって修正意見がついたのかということを、事後にだが知ることはできる。公開を意識すれば検定の議論がより真剣、慎重になるだろうし、国民が次の検定を見守る参考にもなる。

 だからと言って、これで十分だとは言えない。集団自決検定と同じような事態になったとしても、その事実を知らされるのはこれまで通り結論が出た後なのだ。仮に検定過程で意見書が明らかになっていれば、沖縄戦の専門家らから指摘があったはずだ。

 加えて、審議会を非公開とし、議事録を作らないことについては従来通りだという。教科書作りの指針となる学習指導要領を審議する中央教育審議会が原則公開されていることと比べると、その差は歴然である。

 そもそも調査官の意見を、検定後にしか知りようがないのも気がかりだ。意見書の内容がその後の審議の基調になるとすればなおさらだ。

 もちろん歴史教科書にとどまらない。どの教科でも子どもたちが学ぶ大切な素材である。教科書の中身がどう決まっていくのか。不合理な点や偏ったところはないのか。多くの目にさらされて悪いことはないはずだ。透明化へ向けたさらなる改革が欠かせない。

 検定はどうあるべきか。そもそも検定自体がどこまで必要なのか。そんな本質的な議論も必要だろう。


教科書検定 圧力の排除が透明性の前提だ(12月7日付・読売社説)」(読売新聞)
 → http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081206-OYT1T00742.htm

 教科書の検定は、外部の圧力や干渉を排除することが何より重要だ。その作業の透明化は必要だが、あくまでこうした点に十分に配慮した仕組みであるべきだ。

 文部科学相の諮問機関、教科用図書検定調査審議会の作業部会が、検定のあり方を改善する案をまとめた。

 改善案では、検定後、実質的な審議が行われた部会や小委員会の議事概要、検定意見書の原案、各委員の所属部会や小委員会などを公開する。また、意見書原案を作る文科省の教科書調査官の氏名や職歴も明らかにする。

 これまで部会や小委員会では、議事概要自体が作られていなかった。また、検定後、検定意見書は公表されるが、原案は対象になっていなかった。

 今回の改善案作りは、昨年、高校日本史の教科書検定で沖縄戦の集団自決をめぐり、「審議の経過が不透明だ」などと批判されたのを受けたものだ。

 改善案が、検定の透明性に配慮する一方、審議の非公開を維持し、記録の公開も検定後としてバランスを取ったのは、妥当な判断だ。冷静で自由な議論を交わすには、静かな環境が確保されていなければならないからだ。

 教科書検定をめぐっては、過去にも国内外の不当な干渉にさらされ、そうした環境が保たれているとは言えない例があった。

 「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した中学歴史教科書をめぐる騒動も、その一つだ。2001年春に検定結果が出る半年も前から、国内の一部や中国、韓国政府の“圧力”があった。

 今年改定された中学校社会科の学習指導要領の解説書には、竹島が日本の領土だと教えるよう、初めて盛り込まれた。韓国が抗議し、駐日大使が一時帰国する騒ぎになった解説書だ。

 その解説書に沿った教科書の検定は10年度に実施されるが、仮に検定中に経過が明らかになれば、混乱が予想される。学術的な見地から適切な記述かどうかを議論する環境は、到底保てまい。

 検定審は、同じ文科相の諮問機関でも、中央教育審議会などとは性格が大きく異なる。

 中教審は行政施策のあり方などを議論するが、検定審は、教科書会社が申請した本を審査し、合否を決定するという行政処分を下す。教科書会社にとって不利益な不合格決定を出すこともある。

 公開のあり方におのずと違いがあるのは、当然だろう。


「社説:教科書検定改革 公開は内容の充実につながる」(毎日新聞)
 → http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20081207k0000m070102000c.html

 扉の向こうで何を論じているのかわからない。木で鼻をくくるような情報しか出てこない。こんな批判がされてきた学校教科書の検定プロセスについて、文部科学省が「透明性を高める」改革案をまとめた。

 今の手続きでは、まず教科書出版社の申請本を、文科省採用の職員である教科書調査官が専門分野ごとにチェックする。そして「調査意見書」を作り、教科用図書検定調査審議会検定審)にかける。これは文科相の諮問機関で、有識者らからなり、部会や小委員会に分かれている。

 ここが調査意見書をもとに審査し、その報告に基づいて文科省側が問題とされた部分を挙げた「検定意見」を出版社側に通知、修正を促す。これに応じて出された修正表が再び審査され、検定合否が決定する−−という流れをたどる。

 ややこしいうえに、他の多くの審議会のように審議そのものが公開されていないため、そこにどのような意見や論理が働いているのか、圧力はないのか、といぶかる声が出ていた。端的に表れたのが昨年春、高校の日本史教科書の検定で沖縄戦集団自決の旧軍関与について記述が改められた問題だ。沖縄県をはじめ反発が広がり、検定の密室性への批判が高まり、文科省側も改善の検討を表明した。

 改革案では、従来伏せてきた調査意見書と審議会の議事の概要を審査終了後に公表する。また、大学教員や研究者らの中から推薦などで採用され、検定意見の原案になる調査意見書を作って実際的な影響力を持つ教科書調査官についても氏名、職歴を明らかにする。

 この程度では、あるべき公開の姿には遠い。文科省は「静かな環境で自由闊達(かったつ)に論議してもらうため」というが、事後になってもなお、議事録も出せないというのでは説得力を欠く。「概要」の要件もあいまいで、ふたを開けたら、木で鼻をくくったものだった、ではたまらない。

 しかし、改善に踏み出したことには違いない。検定審も「国民の教科書に対する信頼確保」を最重視している。さらに公開度を高める工夫をし、後退することがあってはならない。

 それは何より、開きたくなる魅力的な教科書づくりのためになるはずだ。歴史教科書に限った問題ではない。どの分野であれ、検定過程がオープンになり、関心や論議が広がることは、教科書をより充実、進化させるのに極めて有用だ。

 文科省は既に教科書の内容で学習指導要領の範囲を超えた記述の制限を取り払うことを決めた。検定過程透明化への流れと記述規制緩和の流れは、必然的に検定制の存否論議にもつながろう。

 私たちは、まず段階的に高校教科書を検定対象から外すことも検討してはどうかと提案してきた。これにも闊達な論議を望みたい。


『2005年06月11日(Sat)「虚構と真実」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050611
『2005年07月25日(Mon)「虚構と真実(2)」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050725


沖縄ノート (岩波新書)

沖縄ノート (岩波新書)