NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

捕鯨テロ問題

昨日の『産経抄』より。
 → http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080311/trd0803110300000-n1.htm

 先月26日の夜8時半ごろ東京の滝野川署に住民から「路上の大声がうるさい」との苦情があった。27歳の巡査長がかけつけ、大声の主の少年3人に注意したが、少年たちは無視して座り込んでしまった。このため巡査長は拳銃で威嚇しやっと立ち去らせた。

 ▼だがこの少年たち、自分たちの行動を反省するどころか警察に「銃を向けられた」とねじこんだ。警察としては「拳銃の適正使用には当たらない」と認めるしかなく、処分の検討を始めた。2日後の朝刊では「警官、少年に銃抜く」などと大きく報じられた。

 ▼少年たちにしてみれば、自分たちへの同情が集まると期待したのかもしれない。ところが報道後、警察に寄せられた600件余りの手紙や電話、メールのほとんどは巡査長を支持するものだった。地元住民110人による処分軽減の嘆願書も集まったという。

 ▼日本の調査捕鯨を妨害している「シー・シェパード」の面々も日本や世界の「世論」を読み間違えていたフシがある。日本政府が「対抗措置」をほのめかしても妨害を続けた。「海上保安庁が銃を撃てば日本の世論が反発してくれる」とでも思っていたようだ。

 ▼このため今年4度目の妨害で海保が警告弾を投げると「負傷者が出た」とアピールする始末だった。だがテロリストのような妨害者に同情が寄せられるわけもない。それどころか、国際捕鯨委員会は彼らを強く非難する決議をした。こちらは日本の強い態度が国際世論を動かしたのだ。

 ▼警察にしても海保にしても違法なことは許されない。だがそれよりもまず、国民の生命や財産、安らかな生活を守るため毅然(きぜん)とした態度を忘れないでほしい。それが国民の変わらぬ願いなのだ。そのことがわかった意味は大きい。


「挑発退け冷静な捕鯨論議を 」(日経新聞『社説』)
 → http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080308AS1K0800408032008.html

 日本の調査捕鯨船「日新丸」を襲って乗員にけがを負わせた集団、シー・シェパードを環境保護団体とは呼べない。彼らは、環境の保全とは縁もゆかりもない船舶攻撃、海賊行為を繰り返している。こんな無法者と一緒にしては、真剣に合法的に、環境保護の活動を続けている圧倒的多数の環境保護団体に失礼だ。

 今回の一連の事件は、明らかな国際法違反であり、今後さらに重大な被害が発生するのを防ぐ意味でも、常習的な海賊行為として、徹底的に捜査・究明すべきである。団体の本部がある米国、活動拠点のオーストラリア、船籍があるオランダ、それぞれに捜査協力と再発防止を求めるのが、日本政府の課題だろう。

 三国とも政府は反捕鯨を掲げているが、船舶襲撃の刑事事件として、冷徹な処理を求めればいい。シー・シェパードは自らの不法行為を、崇高な使命を帯びた英雄的な行動のごとく見せ、資金を集めている。その術中にはまってはなるまい。

 捕鯨問題について私たちは、持続可能な海洋生態系の保存と利用をめざし、思い込みや非難・中傷ではなく、あくまで科学を論拠にすべきだと主張してきた。国際捕鯨委員会(IWC)では、これまで議論を積み重ね、新しい商業捕鯨の仕組みを科学委員会がまとめ上げている。

 改訂管理方式と改訂管理制度からなる新しい仕組みは、合理的な監視システムの下で、個別の生物種も海洋生態系全体も保全される形で商業捕鯨を行うのがねらい。反捕鯨国の科学者も納得したこの制度を、総会では反捕鯨国が導入に反対して、事態は止まったままだ。いまだ商業捕鯨再開のメドは立っていない。

 「世界中の海に鯨があふれても、商業捕鯨では1頭もとらせない」と宣言する反捕鯨国もあって、まともな議論が通じにくい状況なのは確かだ。しかし、ここが正念場である。鯨の個体数をしっかり調べたことで、世界的な環境保護団体が、海洋生態系の保全という観点から、合理的な捕鯨制度に関心を示している。

 無法な挑発は毅然(きぜん)と退け、理不尽に対しては、共生の科学と寛容の哲学で辛抱強く説得するしかない。異質な文化を理解しない偏狭と非寛容は必ず衰退する。