NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

Paul Frere

「自動車評論家の草分け、ポール・フレール氏が死去」(ホビダス・オート)
 → http://www.hobidas.com/auto/carnews/article/80824.html

 2月23日、偉大なるモータージャーナリストでありレーシングドライバーでもあったポール・フレール氏がベルギー・ブリュッセルで91年の生涯を終えた。

 フレール氏は1917年1月30日にベルギーのフランス人街で生まれ、1940年代後半にはレーシングドライバーとして複数のチームで活躍。1952年に地元ベルギーGPでF1デビューし、1956年までに10レース出走した。

 1953年にはポルシェ550スパイダーでル・マン24時間レースに参戦。リヒャルト・フォン・フランケンベルグ氏とともにクラス優勝を果たした。1958年のル・マン24時間レースでは、エドガー・バルト氏とともにポルシェ718RSKを駆り、1500cc以下のクラスで優勝。総合でも4位に入賞した。1960年にはオリビエ・ジャンドビアン氏とともにフェラーリ250TRのステアリングを握り、総合優勝を果たした。

 レーシングドライバーとしての活動と並行して1945年からはモータージャーナリストとしても活動。世界中の自動車専門誌に寄稿し、多くのモータージャーナリストに影響を与えた。

 フレール氏と関係が深かったポルシェAGは哀悼の意を表するとともに、次のようなコメントを発表している。

 「ポール・フレール氏は、人生そのものをレーシングスピードで生き抜いてきました。エンジニアとして、レーシングドライバーとして、そしてジャーナリストとして世界中から絶大な賞賛を得ていました。彼の死により、ポルシェは過去から現在まで続いていた我々のプロダクトに対する評定家を1人失ったのです。」

 熱心なポルシェ・エンスージャストとしても知られたフレール氏は、氏が初めて手に入れたポルシェである356とインディアンレッドの911カレラを最後まで手放さなかったという。

「ポール・フレール氏死去」(webCG
 → http://www.webcg.net/WEBCG/news/n0000018409.html



名著、『新ハイスピード・ドライビング』は、いまだにぼくのバイブルです。



『ポール・フレール - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB
『ポルシェ、ポール・フレール氏に哀悼の意を表する』(ポルシェ・ジャパン) http://www.porsche.com/japan/jp/aboutporsche/pressreleases/pj/?pool=japan&id=2008-02-26
『ポール・フレールの「Me and Honda」』(ホンダ) http://www.honda.co.jp/sportscar/enjoy2/05/


 基本となる物理理論をよく理解し、レースという極限状態での車の挙動を論理的に知ることは、いかなるドライバーにとっても運転技術の向上に結びつき、たとえ競技に参加しない人にとっても、路上における安全運転のために役立つに違いない。

─ ポール・フレール『新ハイスピード・ドライビング

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新ハイスピード・ドライビング

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