NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「建国記念の日」

「【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 目下の国難と『明治の初心』」(産經新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/life/education/080211/edc0802110232000-n1.htm

 ■「建国記念の日」に考えるべきこと
 ≪国民式典の名は消えたが≫
 今日2月11日が「国民の祝日」の一つとしての「建国記念の日」と定められたのは、昭和41年6月の祝日法改正に基づく政令によつてであつたから、本年で既に四十年を越える歴史を閲してきた祝日である。だからこの日を国民の祝日として祝ふ事の意味について、今さら改めて考へたり論じたりする材料は何もない、とも言へよう。
 この日が明治6年から昭和22年までの七十五年間、「紀元節」の名の下に、日本国紀元の開始の日であり、我が国初代の神武天皇の御即位記念の日付であるとして祝はれてきた事や、それが大東亜戦争の敗北の結果、米軍による日本国占領政策の一環として廃止を強制された経緯は既によく知られてゐる。又昭和23年から40年までの空白期間を置いての後、「紀元節復活」を要望する国民運動の成果として、名称は変更されたもののとにかくその目標を達成できた事の意義やその評価をめぐる附帯事情等については、復活以来四十年の歳月の間に謂はば論じ尽されたといふ趣がある。
 例へば昭和59年から平成17年までは、当日に政府後援の奉祝行事が「国民式典」の名を以て行はれてゐたのに、この公的性格を帯びた儀式は消滅してしまひ、現在では奉祝行事は専ら諸種の民間団体の開催に委ねられてゐる。それは何故か。この疑問についても、今や人々の広汎(こうはん)な無関心の前に、筆者がここで論題として取り上げるほどの意味と効用は殆んどないだらう。
 ≪父祖の国是としての要請≫
 「建国記念の日」奉祝の意味について、神武天皇肇国の大業といふ蒼古(そうこ)の歴史に思ひを致す事の意義を軽んずるわけでは決してないけれども、今日より多く求められてゐるのはむしろ次の如き考察ではあるまいか。
 即ち、国の紀元開始を記念するといふ発想は、江戸時代までの伝統的な宮廷の節会にも、武家社会の慣例にも、民間の歳時記的年中行事の中にも全くなかつた事である。それなのにこの日が明治初年に謂はば突如として、天長節と並ぶ重要な国家的祝日として制定されたのは何故か、どんな動機がそこに伏在してゐたのか。この設問である。
 それは明らかに、安政の開国から明治維新を経て、(当時範例たり得ると考へられてゐた)西欧型立憲君主制国家に我が国を再編成してゆくといふ目標から国民に課せられた、「時代の要請」に応へての事だつた。この要請が具体的にはどういふものであつたかについて、筆者は過去の本欄(平成17年4月27日)で「我等が父祖の国是三則」との標語で説いた事がある。
 それを反復するならば、三則とは、一に国家安全保障の確立、二に国家主権の尊厳、三に積極的国際貢献の思想である。この三項を明治維新によつて樹立されて以来八十年不動の我が日本国の国是であると定式化してみせたのは昭和22年の徳富蘇峰だつたが、その蘇峰の立言以来既に六十年が経過してゐる。そして見直してみれば、なるほど樹立以来百四十年後の今日でもこの三原則はまさに現在の我々に向けて発せられたものであるかの様な切迫した言葉の響きを持つてゐる。
 ≪「国民的団結」と「主権尊厳」≫
 紀元節が制定された当時の、つまり明治初年の日本は、国際関係から見れば実に危険な、憂慮すべき境涯にあつた。我々の先祖の悪戦苦闘の結果としてともかくもそれは克服できたが故に、我々はとかくその国難を忘れがちである。然し、当時我が国に接近して来た欧米帝国主義列強が我に対して抱いてゐた支配と劫掠(ごうりやく)の意志は実に執拗(しつよう)なものだつた。この圧迫に抗して日本国の安全を確保し、国家の独立主権に対する侮辱を撥ね返すために必要不可欠の抵抗力は、畢竟(ひっきょう)国民の団結と国家主権の尊厳についての意識だつた。
 紀元節の制定は、この国民的団結と主権尊厳の意識を涵養(かんよう)するための教育的施策の一環だつたと見ることができる。或いは、その様に解釈する事が目下の事態にとつてむしろ必要である。名称は「建国記念の日」といふ史実にそぐはない呼び方に変つたが、それは必ずしも大きな傷ではない。重要なのはこの日の記念の意味づけである。
 現在我々を取巻いてゐる国際環境の苛酷(かこく)さは、明治初年のそれと比べてみる時、一衣帯水の近距離にある大陸と半島の特異な国が、当時の欧米よりも更に露骨な覇権主義の野望を誇示してゐる点で、より険悪だとも言へるが、他面よりわかり易いとも言へよう。それ故に、現在の我々にとつての緊急必須の策励とすべきは、明治初年の国難とその克服の努力の跡を回想し再考する事である。「建国記念の日」は明治の歴史を学び直すための恰好(かっこう)の契機である。