NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

多田道太郎

昨日の『産経抄』より
 → http://sankei.jp.msn.com/life/trend/071206/trd0712060240005-n1.htm

 ロンドンの地下鉄は、お世辞にも快適とはいえないが、ひとつだけ感心したことがある。乗客同士が少しでも体が触れあうと、どちらからともなく「エクスキューズ・ミー」の声があがることだ。

 ▼フランスや米国にも似たような作法がある。それに比べて日本では、お互いだんまりのまま。日本語でこんな便利な言葉があれば、最近のギスギスした車内の雰囲気も少しは和らぐだろうに。こんな内容のコラムを書いたことがある。

 ▼きのう訃報(ふほう)を知った多田道太郎京都大名誉教授は、それよりずっと前にロンドンで同じ光景に遭遇して、興味を引かれていた。著作のひとつ『しぐさの日本文化』で多田さんは、ヨーロッパ人が人との接触を避けるのは、触覚をいやしめているからだ、と推論する。

 ▼人間の進歩を支えてきた道具は、はさみにしろハンマーにしろ、指や腕など人間の肉体の延長だ。電話やテレビは、視覚や聴覚の延長といえる。逆に延長できない触覚や嗅覚(きゅうかく)はおとしめられ、排除された。多田さんは、そんな文明は人間の解放という点で限界がある、と指摘する。人に触れることは、心に触れることに通じる。それを禁忌化しなかった日本文化の可能性へと、読者を導いていく。

 ▼OECDが昨年実施した国際学習到達度調査によれば、日本の高校生の考える力が、世界のトップから脱落したらしい。そもそも考える力とは何か。同じ「接触」の題材を扱いながら、道筋、深さに大きな違いが出るのはみての通り。

 ▼日本を代表する知性と比べるおこがましさは百も承知、ひとつの例として挙げたまでだ。順位の低下より、記述や論述問題で白紙解答が目立つことが気になる。考えること自体を厭(いと)う風潮が、広がっていないか、心配だ。

「仏文学から現代風俗まで論評、多田道太郎さん死去」(読売新聞)
 → http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20071204ij21.htm
「評論家の多田道太郎氏死去」(時事通信)
 → http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2007120400870


多田道太郎 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E9%81%93%E5%A4%AA%E9%83%8E

しぐさの日本文化 (多田道太郎著作集)

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遊びと人間 (講談社学術文庫)

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